守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


 ヒロシマが危ない

 

 広島昨年12月の長崎地裁に続き、2月7日には広島地裁も被爆二世の健康被害に対する国家賠償請求を棄却した。

 二年前広島での「黒い雨訴訟」は原告が勝利し、原告以外の黒い雨を浴びた人々にも被爆者手帳の交付を認めるという大きな前進があったのに、今回また大きな壁に阻まれてしまったのは何とも悔しい。国は「親の被爆が子供に影響を与えることは確認されていない」というが、私は30代初めの若さで乳がんや子宮がんになった人を複数知っている。本格的な調査もせず、なぜ二世への影響がないと言い切れるのか。なぜ司法は被害者の立場に立たないのか。
 私は広島市内で生まれた。四歳になる前に東京に転居したので故郷というほど長く広島に住んでいたわけではないが、被曝者を父親に持つ者にとって、やはり広島は特別な土地だ。私が平和を守る活動をしている原点は、間違いなくヒロシマにある。今、そのヒロシマが危ないと感じている。
 
 広島市は老朽化した市立中央図書館と映像文化ライブラリーをJR広島駅前の商業施設に移転すると決めた。駅に近い方が利便性が高く、現在の場所に建て替えるより30億円コストが低いという理由だ。市民の間では、決め方が性急だ、理由がわからないなど反対の声が上がっている。当初は子ども図書館も同時に移転する計画だったが、市民の声によって現在の場所にとどめることができた。中央図書館は平和公園に隣接する中央公園にあり、峠三吉や原民喜など原爆文学作家の作品や遺品など貴重な資料がある。私は現在の場所が、原爆による惨禍とそこからの復興に思いを馳せるのにふさわしいと思う。この件について詳しく書くと長くなるので、是非「ひろしまのシビックプライドを考える会」のホームページを見ていただきたい。Change.orgでネット署名も行われている。
 私が言いたいのは、原爆に関わる施設や資料、展示品などは特別なもので、普通の公共施設や遊興施設と同等に扱ってはいけないということだ。建設費用や利便性を優先すること自体、核戦争の惨禍に対する感性が鈍磨している証拠だと思う。
 
 2月17日には広島市教育委員会が小学校の教材から「はだしのゲン」を削除するということも報道された。理由は「被爆の実相に迫りにくい」からだという。でも私は「はだしのゲン」を読んで原爆のことを知った、原爆被害に興味を持ったという若い人をたくさん知っている。日本ばかりでなく、ドイツでもだ。「ゲン」は総発行部数1千万を超え、12ヵ国語に訳され、アニメやミュージカルにもなった。市教委が「ゲン」を外したいのは、「ゲン」が被爆の実相を伝えていないからではなく、反対に子どもや若者に原爆と戦争の恐ろしさを伝える優れた教材だからではないだろうか。
 
 そう考えると背後にあるものが浮かび上がってくる。自称「被爆地広島の」首相の意向だ。大軍拡を進め、アメリカとの核共有を実現するために、市民の原爆に対する恐怖や拒否感をなくしたいのだ。もちろん原発再稼働や稼働延長、新増設、汚染土の再利用や汚染水の海洋放出をするためでもある。こんなことを放っておいたら、今に日本も核兵器を作ろうなどと言いだすかもしれない。人の命や健康と引き換えにして守らなければならないものなどない。核と人間は共存できない。
 岸田政権を退陣に追い込もう!