暇工作「生涯一課長の一分」

 

            反戦平和の人・近石真介さん


 近石真介さんが昨秋亡くなった。『サザエさん』の初代マスオさん(声)として有名だが、暇には毎朝聞こえてきたTBSラジオのパーソナリティ番組「こんちわ近石真介です」の、あの声が懐かしい。毒蝮三太夫さんとのコンビも絶妙だった。

 

 近石さんは俳優に専念するまでは、住友海上火災(現・三井住友海上)に勤務していた。結成直後の全損保組合員だった。暇の先輩にあたるわけだが年代が違うので会社員時代に顔を合わせたことはない。

 暇たちが組合つぶし・解雇とたたかっているとき、近石さんは売り出し中の自身のリスクも顧みず支援を表明し、ポスターへの顔出しまで快諾してくれた。(掲載写真は、そのときの支援ポスターの近石さん)。

 その近石さんが亡くなったのは、平和憲法を逸脱する「安全保障三文書」が閣議決定された、ちょうどその時期であった。たまたま、古い組合機関紙をめくっていると、「再軍備反対の声を押しつぶした全損保中央委員会に訴える」という近石さんの投稿文書が見つかった。日付は1951年とある。近石さんは反戦平和の人でもあったのだ。

 のちの全損保は揺るぎない反戦平和の旗を掲げる労働組合として、広く世間からリスペクトされてきたが、当時は揺籃期であり、その路線が、まだ確立されていなかった頃のことである。

 文書には若き近石さんの平和への強烈な思いが飾らぬ筆致でシンプルに表明されている。訴えは70年後の現代への警告でもある。

 

 前文は次のように始まる。

 「全損保中央委員会に於いて、再軍備反対決議がわずかの差で否決されたことを聞いた私は、心からの憤りに耐えられず、この一文を書いた。私はここでこの決議を否決することに賛成したすべての組合役員に一組合員として訴えたい。全世界の平和のために全損保2万の組合員が力強く立ち上がることを期待してやまない」そして以下のように続く。

 「あなたがたが指導している全損保組合員がどれだけ強く戦争の苦痛を受けているか知っていますか。たった一人の息子を兵隊に引っ張られ、今は年老いた妻と二人で寂しく老後を送っているSさんの悲しみを知っていますか。年老いた母が空襲で焼け死んだ時のAさんの号泣を知っていますか。将来を約束した人がビルマの奥地で戦死し、今は婚期を逸して働いているTさんの空しい生活を知っていますか。女姉妹の中でたった一人の兄を戦争で失い、女手一つで一家を支えているOさんの苦労を知っていますか。赤紙一枚で軍隊に入れられ動物のような生活と生死の境をさ迷ったKさんの戦争を恐れる言葉を知っていますか…」

 

 訴えに登場する個人は、みな近石さんとなんらかの繋がりがある人々だという。伝聞や想像上のことではなく、自身が肌身、感性で受け止めた具体的で生の実態である。近石さんは人間への人権侵害として戦争を告発する。国や組織ではなく、個人の視点から戦争を拒否している。

 「国土防衛」「敵基地反撃能力」などという言葉が飛び交う現在。戦争が個人の立場が論じられず、国が民の上に置かれてくると戦争が近づいた信号である。今やまさに、タモリさんのいう「戦前」だ。

 近石さんの、徹底した「人」としての視点から見る戦争観こそ、反戦平和の原点だ。