斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

         背番号と人生

  プロ野球はストーブリーグの真っ最中。フリーエージェント(FA)選手の去就や、新設された「現役ドラフト」の話題が花盛りだが、私は「背番号」に強い関心がある。

 ドラフト1位のAには何番が与えられるのか、2軍上がりでレギュラーの座を獲得したBは念願の1桁番号を手にできるのか。背番号は球団の期待のバロメーターでもあるから、そこには泥臭い人間ドラマが渦巻いているという。

 子どものころは、投手ならエースナンバーを、野手なら1桁を最初から背負う選手に憧れた。3番の長嶋茂雄(巨人)や、11番の村山実(阪神)らのような、要はバリバリのエリートたちである。

 青年期になると、ドラフト下位の入団当初は50~60番台の、その他大勢みたいな扱われ方をしていた選手が、にわかにブレークして若い番号に〃出世〃していくのがカッコいいと思うようになった。57→24の大野豊(広島)とか、66→3→5となった中村紀洋(近鉄)らのことだ。

 ところが還暦を過ぎた近年、好みが変わってきた。成り上がって中心選手になっても、重い背番号を背負い続ける選手をまぶしく感じる。たとえば「おかわり君」こと60番の中村剛也(西武)や、日本シリーズでの活躍の記憶も新しい99番・杉本裕太郎(オリックス)たちのような。

 実際、球団から若い背番号への変更を打診されても、断る選手が増えていると聞く。一人私だけの意識でもないらしい。そういえば、メジャーリーグにはかなり以前からそのような傾向があった。

 いわゆるエースナンバーや1桁の背番号の歴史には、キラ星のような大先輩たちがひしめいている。そんな誰かの残像とは関係のない、自分だけの背番号のイメージをつかみ取ることの意義。初心を忘れない戒め。私もまた、背番号59か64か、いくつだかはわからないが、そんな諸々の価値をかみしめながら、残りの人生を歩んでいきたい。