今月のイチオシ本


      『高橋源一郎の飛ぶ教室』 高橋源一郎   岩波新書 

                       

          岡本 敏則

 


 「2020.4.3 みなさんもご存じだと思います。『飛ぶ教室』(岩波少年文庫)は、ドイツの作家エーリッヒ・ケストナー(1899~1974)の有名な作品で、児童文学の傑作です。ケストナーはこの作品を1933年に発表しました。1933年といえば、ナチスが政権を奪った年です。そして、この年、『非ドイツ的』という理由で、ケストナーの作品を含めたくさんの本が燃やされました」。

 

 毎週金曜日午後9時からNHKラジオ第1で放送している「高橋源一郎の飛ぶ教室」。番組前半は氏の数分間のエッセイで始まり、本の紹介、後半は作家や評論家のゲストとの対談。いま旬のプレディーみかこ氏や斎藤美奈子氏が登場するときもある。2020年4月3日から始まり4年目。小野文恵アナが相手を務めていたが、昨年4月から故郷の広島放送局に転勤、残念。本書は始まりの数分間のオープニング・エッセイをまとめたもの。中身は、氏の身辺雑記、そして思い出。多いのは両親のこと、高校時代のこと、学生運動で逮捕され拘置所に8か月拘留されたこと。大学を除籍された後の10年間の肉体労働の日々、作家としての始まり等々のいわば「ワタクシ小説」。

 

 高橋源一郎とはいかなる作家か、順を追ってみていこう。1951年広島で生まれる。両親について「2020.7.3 父は家庭を省みない人で、ほとんど家にいた記憶がありません。ギャンブルと酒にはまり、経営していた会社をつぶし、何度も家族は路頭に迷いました。苦しくなると、突然姿を消し、ほとぼりが冷めると、恥ずかしそうに現れました。嘘つきで、子供が大事にしているものを質屋に入れるような、要するに最低の父親だったのです。長い間苦しめられた母は、やがて家を出て、父は一人になりました」。

 本人は高校は「超進学校」と言っていますが、東京「麻布中学」から関西に引っ越し「灘中学」に転入、灘高時代は無党派のデモに参加していた。第一志望の京大を落ち、二期校(当時の国立大学は一期、二期とあった)の横浜国大経済学部に入学。当時の横浜国大は、各セクトの学生運動の拠点で、「京浜安保共闘(後の赤軍派)」が有名。「2020.9.4  半世紀も前のことでした。19歳の1月から8月にかけて、およそ7か月の間、ぼくは拘置所の独房で暮らしていました。前の年の大きなデモに参加して逮捕されたからです」。

 「2020.12.20  1969年11月のことです。23日間、留置所にいた後、僕は、少年鑑別所に送られました。そこで2週間を過ごした後、家庭裁判所に送致、そこで処分が下されます。下された判決は『検察への逆送』、要するに、成人並みに裁判にかける、ということでした。元の留置所に戻されることになったのです。暖房装置などない冷え切った留置所で、気が付いたときには大晦日になっていました」。

 1969年11月16~17日は佐藤栄作首相訪米阻止闘争があり、2500人が逮捕された。うちの一人が高橋氏だったのだろう。氏は翌1970年2月起訴され、罪名は凶器準備集合罪、8月まで東京拘置所に拘置された。このことについては氏の『銀河鉄道のかなたに』(集英社文庫)の第3章・2に「ケンジの上に機動隊員たちが折り重なった。この重さで死ぬとケンジは思った。ケンジは頸筋を摑まれ引きずられるように連れていかれた。引きずられながらケンジは頭を背中を腰を太股を腕をガンガン殴られた。殴り殺されると鼻血を出しながらケンジは思った」と、書かれている。「鬼ノ4機」(警視庁第4機動隊)といわれた時代だ。横浜国大を8年で除籍された氏はその後建築現場など肉体労働で糊口をしのいでいたが、「書くことに」自分を見出し、「文芸誌」の新人賞に応募する。「2021.11.19  僕はある賞に応募しました。けれど落選。選考委員たちからは酷評の嵐で『残り少ない人生の時間をこんな小説を読んで浪費した』とまでいわれました。そんな中、選考委員でただひとり、寂聴さん(1922~2021)だけが支持してくださったのです。そして、寂聴さんは、ぼくへの酷評を、まるで自分が攻められているようで辛かったと書いてくださったのでした。生まれて初めて出す本の帯をかいてくださったのも寂聴さんでした」。

 もう一人の「恩人」が吉本隆明(1924~2012)。「2021.2.19  言葉の世界に入るきっかけを作ってくれたのは、詩人の吉本隆明さんでした。吉本さんに手紙を書くような気持で、書き終わったその小説は、又ある賞の選考に残りましたが、受賞とはならず佳作扱いでした。その頃、文学の世界の大きなニュースは、孤高の詩人・吉本隆明が文芸誌でまったく新しい評論の連載を開始するというものでした。書店で雑誌を買い、その1回目を読んで、ぼくは文字通り衝撃を受けました、そこで大きく取り上げられていたのは、無名の新人の、佳作扱いだった、ぼくの小説だったからです。そして、そこには『まったく新しい世界の到来』と書かれていました。1週間後、『きみの作品を単行本にする』と(出版社から)連絡がありました」。

 私生活では、氏は5回結婚をしている。4人目は室井佑月さん(2000年男児誕生)。現在娘一人、息子4人の父親でもある。