昭和サラリーマンの追憶 

              

      

     末端自治体から育てる民主主義

 

            前田 功


 まえだ いさお 元損保社員 娘のいじめ自殺解明の過程で学校・行政の隠蔽体質を告発・提訴 著書に「学校の壁」 元市民オンブズ町田・代表


 筆者若かりし頃、大どころの都府県の知事は革新系が多かった。神奈川の長洲知事、京都の蜷川知事、東京の美濃部知事、大阪の黒田知事などなど。横浜市には飛鳥田市長もいた。戦前、知事は国(内務省)が決めていた。その任命には住民は全く関与できなかった。戦争が終わり、首長を住民の投票で決めることができるようになったわけであるが、それを喜ぶ国民の歓喜の余韻として当時の革新系知事があったのではないかと思う。

 ちなみに、筆者が学生時代、黒田知事はまだ、私のいた大学の法学部の教員だった。私は法学部ではなかったが教養課程(1、2回生)で、「憲法」だったか「法学概論」であったか記憶が定かでないが黒田教授の講義を受けた。知事になったのは、卒業後数年経ってのことであるが、嬉しく思った記憶がある。 

 その後、宮城(浅野)、三重(北川)、高知(橋本)、鳥取(片山)など改革派知事の活躍が話題になった時期もあったが、大勢としては地盤・看板・算盤(カネ)に恵まれた自民系の首長が多いと言わざるを得ない。 

 

 ただ、このところ、市や区など生活に直結する末端自治体で非自民の首長を多出している地域がある。東京都の西部だ。

 多摩市の阿部裕行市長、世田谷区の保坂展人区長、武蔵野市の松下玲子市長、中野区の酒井直人区長、小平市の小林洋子市長、杉並区の岸本聡子区長、小金井市の白井亨市長、立川市の酒井大史市長などである。(なお、松下武蔵野市長は、菅直人衆院議員(元首相)の引退に伴いその後任として国政に転じるため、この11月退職した。)

 それぞれ、出馬・当選に至る経緯は違うが、市民運動をルーツとして政治に関わるようになった人たちだ。この人たちを草の根の住民たちがボトムアップ型で支えているのだ。

 再選を重ね先輩格にあたる世田谷区の保坂区長や多摩市の阿部市長らは、「地域主権主義」を掲げ、住民や首長、議員らが集まる「ローカル・イニシアティブ・ネットワーク(LIN-Net)」を立ち上げ、候補者を支援している。

 「地域主権主義」は、住民が主体的に地域の合意形成に参加することを重視する民主主義の考え方や取り組みである。格差や貧困、分断を社会にもたらした新自由主義から決別し、住民生活を守るために自治体レベルの選挙で首長や議員を当選させ、具体的に政治を動かすことを目指すものだ。自治体同士の連携も重視する。

 

 首長選だけではない。市議選、区議選においても、同様の傾向が見られる。杉並区や武蔵野市では、議員の過半数を女性が占めることとなった。世田谷区では、外国人が暮らしやすくなる施策の実現を訴えたウズベキスタン出身の女性候補が初当選を果たしている。

 この人たちは、従来、票にならないと言われてきたジェンダーや環境、気候変動、外国人の人権などを訴え、それをこれまで政治から遠ざかってきたと見られてきた女性や若者が支え、流れをつくったのである。

 これらの地域では、気候危機、ゼロカーボンへの実践についても、行政と環境活動家や市民運動とが協働した取組みも始まっている。

 都市再開発についても、硬直した権威主義的計画行政から地域や市民が主導する街づくりへの転換がはかられ、公契約条例による労働報酬を底上げし地域が豊かになる改革が進んでいる。

 新自由主義の下でどんどん民営化されたものを公共の手に取り戻し、市民参加型で取り組んでいこうという動きもある。いきなり国政を変えるのは難しいが、まずは自分たちが住む自治体の選挙にしっかりとした候補を出して、着実に変えていこうとする動きである。

 

  LIN-Netについて、保坂氏は、「実際に住民自らが政治や行政に参画し、首長や議員になったりする層を厚くすることで、社会は変わっていくということを共有したい」「政党化するつもりはない」「保守系でもいい」「我々の政策のつまみ食いをするのでもいい」と言っている。

 保坂氏は、次のようにも言っている。「12年前に自民系の区長を破って初当選した際、区の幹部職員180人を前にして、自治体としてやらなければいけない定型的な業務は95%しっかりやってください。ただ100%になると、流れない水のようによどむので、5%は大胆に変えましょうと言った。すると、幹部職員はホッとし、私の支援者はガッカリした。区長1年目に5%変えても95%が残るが、次の年はまた5%…を12年続けると、かなり変わった」

 焦らず、漸進的に変えていこうということだろう。 

 

 斎藤幸平は、LIN-Netのシンポの中で、次のように言っている。資本主義の暴走は続き、その結果、気候危機が悪化、また経済格差も拡大し、人々の生存は危うくなるばかり。しかし、国家による「上からの」政治・統治は、頼りにはならない。国も資本と結託するからだ。そこで必要なのが、私たち自らが身近な社会にコミットしていく「自治」の力だ。とりわけ、水やエネルギー、公園や道路、教育や医療などの「コモン」(公共財・共有財)の市民的な管理から「自治」の力は育まれていく。 

 中学の社会科で習った「地方自治は民主主義の学校」という言葉を思い出した。