「働く」はみんなのもの

     

                     竹信 三恵子


 たけのぶ みえこ  朝日新聞社学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て和光大学名誉教授、ジャーナリスト。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)など多数。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。


                               ケアの大喰らい

 

 家事とケア労働。それはなぜこんなに見えにくいのだろう。こんな疑問を抱える私の前に出現したのが、米国の政治学者、ナンシー・フレーザーの「資本主義はケアの大喰らいの上に成り立つ」という指摘だ。

 資本主義は、空気や水といった一見タダに見える自然を食い散らして成長する。こうした批判は、最近では常識になりつつある。だが、資本主義はほかにも、いろいろなものを食って太る。

 8月に出版されたフレーザーの『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書、江口泰子訳)は、経済の内部だけでなく、「経済の背後にあって富を食い尽くそうとする資本の衝動」の主戦場として、「ケア」などの再生産労働が挙げられる。

 たとえば長時間労働によって、働き手は睡眠や食事、家族の面倒を見る時間など労働力を再生産するための時間を奪われる。その歯止めとなるはずの残業代は、裁量労働制や高度プロフェッショナル制度によって値切り倒される。

 さらに、そうした長時間労働の背後で多くの女性は家庭内で長時間の家事・ケアを不払いで担う。それは企業にとっても政府にとっても、格好の利益の源泉だ。

 自然破壊に声を上げて抗議する多くの人々も、「ケアの大喰らい」は見過ごす。そこには「ケアは愛の行為→だから無償」という非論理的な連関が貼り付けられているからだ。

 愛の行為だから無償、というなら、患者へのいたわりを必要とする医療行為も、介護士の仕事も、「家政婦」の仕事も、タダでいいとなる。だが、そうなったとき、こうした人々はどうやって生存を維持するのか。

 この社会は、こうした問いにこたえようとしない。そんな姿勢が、資本主義にとっては格好の餌食となる。