暇工作「生涯一課長の一分」


    ひま・こうさく 元損保社員・現在個人加盟労組アドバイザー        


  「一人の決意、5000人賃上げ。パート女性が社外労組入り団交」

 

これは過日の東京新聞一面トップ記事だ。全国展開する企業で47歳の女性が個人加盟労組に加入して会社と団体交渉を行い、時給が60円アップの1,090円になった。そして、その成果は本人だけではなく5000人の他の従業員全体にも及んだという内容だ。彼女の思いは「会社と闘う」というより、「会社をよくしたい」だった。

改めて個人加盟労組の存在感を確認できる記事だが、とりわけ、本人以外の「5000人」の同僚たちの反応が、暇の関心の対象でもあった。立ち上がった彼女に呼応して同じ労組に加入した仲間はわずか一人。彼女のがんばりのお陰で自分たちの賃上げが実現しても、彼女に感謝の言葉をかけてきた同僚は5000人中わずか一人。むしろ、その他の人たちからは「距離を取られている」とさえ感じられというのだ。

かつて、暇たちが少数派労組として賃上げ要求を会社に提出したところ、多数派労組が要求していないボーナスまで会社が応えてきたことがあった。つまり、少数派の闘いのお陰で、数千人の多数派労組の人々も「恩恵」に浴した。東京新聞の記事と同質の出来事だ。そしてまた、多数派労組の多くの人々が(一部の人々を除いて)暇たち少数派労組へ声をかけてもくれる人も少なく、多数の人々は暇たちと相変わらず「距離を取って」いたことも似通っている。

「お前らのお陰じゃない。会社の善意だよ」と暇たちに向かって毒づいた多数派労組幹部の言動は論外だが、かりに感謝していても、虚心坦懐に声をかけることが、なんとなく憚られる、という心理もわからなくはない。少数派とは「距離を取る」ことが、身の安全だと本能的に悟っているからだ。また、労使の相互関係や賃上げのメカニズムに全く無関心、無知、という人々も多かったかもしれない。

いろいろ事情はあるだろうが、率直に言って「それにしても、みんな、ちょっと冷たいね」だ。なにも暇たちを英雄視してくれなどと言うつもりはなかった。ただ、もっと、心を寄せる感情が表現されてもよさそうだと思ったのだ。心の中ではみんな感謝してくれてるさ、そういう分析もあるだろうし、たぶん、そうに違いない。しかし、それは言葉で、行動で、表現されてこそ共有財産になるものだ。ひとこと声をかける勇気。そこから新しい何かが生まれるのではないか。無反応、無感動な社員ばかりでは、企業の魅力もない。前出のパート女性と同じく、暇たちの思いだって、「会社と闘う」というより、「会社をよくしたい」なのだから。