松久 染緒「随感録」


まつひさ・そめお 元損保社員、乱読・雑学渉猟の読書人で、歌舞伎ファン。亥年生まれ。        


      最高裁が仕事せず政権に忖度か

 

 朝日新聞の9月13日夕刊の素粒子に『「官邸の守護神」の名にふさわしい今月の最高裁』として、政権に忖度するかのように、原告が求める憲法判断をせず上告を棄却したり、訴訟自体を門前払いする例が目立つ最高裁が、皮肉られている。いわく「4日国民が行政を正すためにある制度を国が利用し、民意に反する辺野古工事を強行しても問題ないと判決、6日国民の権利が実際に侵害されなければ違憲か否かは判断しないという判例を踏まえ安保訴訟を門前払い、13日国会召集違憲訴訟で安倍政権の森加計問題隠しを追認」と。

 米軍普天間飛行場(沖縄市宜野湾市)の名護市辺野古への移設(これ自体が、沖縄に集中する在日米軍基地の現状を改善するどころか、米軍の意向を受けて政府が「唯一の解決策」としてなりふり構わず推進するものだ。)をめぐる沖縄県と政府(国)の法廷闘争で、最高裁は、県の敗訴(上告棄却)とした。そもそも国民の権利救済を目的とする行政不服審査法を、国が「私人」として国に不服を申し立て、軟弱地盤を理由とする知事の不承認を取り消す裁決を得るなど、法律のどこにも書いていない。行政不服審査法第1条(目的)にはこう書いてある。「この法律は、行政庁の違法又は不当な処分その他公権力の行使に当たる行為に対し、国民が簡易迅速かつ公正な手続きの下で広く行政庁に対する不服申し立てすることができるための制度を定めることにより、国民の権利利益の救済を図るとともに、行政の適正な運営を確保することを目的とする。」

 このどこをどう読んだら国が「私人」として不服申し立てすることができるのか。解釈改憲を得意とする政府の屁理屈も極まれりといったところだ。

「集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法は憲法違反で、平和的生存権や人格権が侵害され精神的苦痛を受けた」として、福島県内の元教員や戦争体験者170人の起こした安保訴訟は、最高裁から門前払いされた。安保法制をめぐる違憲訴訟は全国で25件、原告は7,700人に上るが、いずれも憲法判断されず棄却された。

 「憲法第53条(衆参、いづれかの議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、臨時国会の召集を決定しなければならない。)に基づいて、野党が臨時国会の召集を求めたのに、安倍晋三内閣が約3か月間も応じなかったのは憲法違反」とする野党議員らが国に賠償請求した3件の上告審でも、最高裁は違憲判断をせず上告棄却の判決をした。

 ところで、1966年7月、北海道長沼町の自衛隊ミサイル基地のため国が保安林指定を解除したことをめぐる行政訴訟(いわゆる長沼訴訟)で、福島重雄裁判長が自衛隊を戦力と認定、戦後初めて正面から憲法判断し、自衛隊を違憲とした。このほか恵庭事件(北海道の酪農家による自衛隊の通信線切断は、自衛隊違憲につき無罪)、砂川事件(在日米軍の駐留は違憲、伊達判決:日本に指揮権の無い軍隊であっても我が国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容することは、憲法第9条第2項に禁止する陸海空軍その他の戦力に該当し、したがって日米安保条約は違憲であり、被告らは無罪)など第一審で違憲判断がなされた訴訟もあるが、いずれも最高裁では憲法判断がなされなかった。砂川事件に至っては、マッカーサー駐日米国大使が、藤山愛一郎外務大臣経由で田中耕太郎最高裁長官に「下級審判決をくつがえし最高裁判事の全員一致で(駐留米軍は)合憲判断するよう」圧力をかけたといわれている。(いわゆる統治行為論:高度の政治性を持つ統治行為も司法審査は可能だが自制すべきとする説、または本来司法審査になじまないから回避すべきという説。ただし、「最高裁は、一切の法律、命令、規則、処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と憲法上に明記(第81条)あり、統治行為や高度の政治性の基準が不明であるため、統治行為論は否定説が通説。)

 一方、違憲判断をした裁判官に対しては、上司からの司法介入(長沼訴訟の有賀書簡)や、国による裁判官忌避の申立て、左遷など露骨な人事異動その他さまざまな嫌がらせに会うのが通例である。長官の人事や裁判所の予算も内閣に握られているとはいえ、何と嘆かわしい仕業か。憲法第76条第3項には「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」とある。かつては第一審や控訴審で原告に厳しい判決がなされても、国民を守る最後の砦として「まだ最高裁がある(真昼の暗黒の八海事件:冤罪)」と期待されたものだ。憲法訴訟において、司法の最高権限を持つ最高裁判所が政権に忖度するかのように憲法判断を回避するのが当たり前となっている。裁判官が正義を示さなくてどうして国家の信用が維持できようか。こんなことでいったい日本はどうなってゆくのか。日本は本当に大丈夫なのか。