斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」
デジタル世界は犯罪の温床か?
さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。
「みずほ銀行」の名義で、妙なメールが送られてきたのは、つい先日のことである。犯罪収益移動防止法に基づいて取引目的を確認したい、ついては表示されたアドレスにアクセスして質問に答えよという。
変だ。斎藤貴男様へ、という宛名もなければ、送信した担当者名もない。そもそも私は、みずほ銀行に口座を持っていないのだ。
検索してみたら、やっぱり。みずほ銀行自身が「詐欺メール(フイッシング詐欺)にご注意ください」なる警告を出していた。私に届いたようなメールはかたりなので対応しないでほしい由。近ごろ拡散されているらしい。
下手をすれば、情報を抜かれ、どんな目に遭っていたかもわからない。たまたま逃れられ私は幸運だったが、中には詐欺先グループに、うっかり暗証番号まで伝えてしまった人もいるのではないか。
こんなことばかりが増えている。パソコンごときを使うのに、なぜいちいち神経をすり減らさせられなければならないのかと腹が立ったが、同時に、しょせんはこんなもんなんだ、とも確信した。
デジタルの世界なんていうのは、要するに犯罪の温床なのである。問題は、そんなものを私たちがあがめ、奉っていること。「マイナンバー」制度なる国民総背番号体制が構築され、個々人の一挙手一投足が政府や巨大資本に絶えずトレースされ続ける監視社会を構築されてしまったのも、ひとえにそのためだ。
相次ぐトラブルに直面しても絶対に謝らない無責任デジタル大臣は、なるほどストーカー狂の国家権力変質者の親玉として、ふさわしいと言えばふさわしい、のかもしれない。それにしても――。
マスコミはいいかげん、「マイナ」なんて官製のネーモングを棄てよ。凶悪きわまる監視体制が、なんだかかわいらしいものでもあるかのように見せかけるのは、それだけでも立派な詐欺である。
社会の調和と安泰に必要な五常の徳は、「仁・義・礼・智・信」だと儒教が教えている。なかでも重要なのが「仁」と「義」である。それは人間が守るべき道徳で、礼儀上なすべき努めのことである。日本人が大切にしている基本的な価値観でもある。
10月10日、公明党は政権を離脱した。
公明党は連立維持の条件として「靖国神社参拝」「裏金問題の解明」「企業献金問題」の対応を連立維持の条件としていたが、これらに対して自民党から明確な回答がなかったからだとしているが、自民党は「一方的に告げられた」と言っている。
私は、公明党が連立の条件を出したとき、その条件に一瞬「今さら?」という気がした。連立を組んで26年、その間、それらは何度も問題になったはずである。それを容認(?)してきたのに、なぜ、今になってそれを頑なに主張するのかと思ったのだ。だが、それは、民意に押されているからだと好意的に解釈していた。
自民党の党大会で、高市早苗が総裁になり、麻生太郎が副総裁になった。常識的に考えると、新総裁はいの一番に連立を組んできた公明党に挨拶に出向き、その上で「今後、どうしましょうか?」と相談するのが筋であろう。
だが、そうではなかった。高市と麻生が最初に会ったのが、国民民主党代表の玉木雄一郎だったのだ。当然、政権協力の話をしたのだろう。
「仁」と「義」に続くのが「礼」である。これも日本人の基本的な価値観で、日本人はこれらに欠ける人間を徹底的に嫌う。
自民党は、支えてくれた公明党に「仁義」も「礼節」も示さなかった。公明党からすればそれは侮蔑されたことであり、屈辱と怒りを感じたはずである。私だって相手がそういう人間なら、さっさと見切りをつけて縁を切るはずだ。
1973(昭和48)年『仁義なき戦い』という映画があった。シリーズで5作創られ、1999(平成11)年「日本映画遺産200」にも選ばれている。
ヤクザを主人公にしているが、ヤクザ映画でも任侠映画でもない。義理と人情、恩義と裏切り、愛と憎悪、怨念と殺戮を描いた群衆活劇で、戦後日本の暗黒社会を描いていた。
石破首相の退陣から総裁選、新総裁誕生と今までの政局をみていると、権力を握るための打算と工作、陰で暗躍する長老たちばかりが目につく。映画は「仁義なき社会は抗争を生む」といっていたが、自民党内部はまるでこの映画のようである。
かつて、自民党と有権者は、政策より義理と人情でつながっているといわれていた。そのころの自民党には、まだ「仁・義・礼」もあったということだろうが、今はカネがすべてのようだ。「五常」の残るは「智(道理をよく知り、知識が豊富)」と「信(情に厚く真実を告げ約束を守る)」だが、自民党はそれさえも失ってはいないか。