斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」
格差社会の中のしんちゃん一家
さいとう・たかお 新聞・雑誌記者を経てフリージャーナリスト。近刊「『マスゴミ』って言うな!」(新日本出版、2023年)、「増補 空疎な小皇帝 『石原慎太郎』という問題」(岩波現代文庫、2023年)。「マスコミ9条の会」呼びかけ人。
恒例のシリーズアニメ映画『クレヨンしんちゃん』が、この夏も大ヒットした。子どもが小さい頃に見て、大いに楽しませてもらった私にも、うれしいニュースだった。
ただし、いささか気になる論考も発見した。しんのすけの父・野原ひろしの言葉が、一部の観客から「心に響かない」と酷評されたとか。
映画でのひろしはいつも、名言を言い放ってきた。「俺の人生はつまらなくなんかない。家族がいる幸せをアンタたちにも分けてあげたいくらいだぜ」という、2001年公開作品のセリフが、特に有名だ。
ひろしは今回、不遇な独身男性にエールを送る役どころだ。素晴らしい名言が語られたに違いないが、その言葉が少なからぬ人々に、「傲慢(ごうまん)だ」と受け止められてしまった節があるらしい。
その状況を知って、複雑な思いが去来した。アニメの原作となる連載漫画がスタートした1990年以来、ひろしは一貫して平均的なサラリーマン庶民であり、されど人間臭く、家族思いの熱い男だった。その生き方が支持されたゆえに、彼の明言は名言たり得、共感されたのである。
ところが今や、ひろしは「庶民」とは言えなくなった。35歳の係長。専業主婦のみさえと長男しんのすけ、長女ひまわりの4人で、埼玉県春日部市の戸建てに暮らす人生は、独り身・非正規・賃貸生活が当たり前の現代社会では、それだけで〃勝ち組〃だから。
新自由主義による構造改革で「格差社会」が招かれたと指摘されて、はや20年。階層間格差の拡大は常態化し、加速度をいや増すばかり。批判も消え失せた。新自由主義は経済のテーマというより、社会全体を支配する、人間が生きていく大前提にされてしまったのではないか。
野党やマスメディア、アカデミズムなど、せめて体制に異を唱えるべき存在が弱すぎる。現実を直視して、一からやり直さなければならない。