守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


  

 「茱萸(ぐみ)坂うたいたい」とMさん

 

 私が歌の活動を始めた頃から、どの集会に行っても必ずと言っていいほど見かける女性がいた。国会議事堂前でも、日比谷野音でも、東電本店前でも、いつもアコーディオンを弾きながら歌っていた。踊るような軽やかな身のこなしや歌の合間のスピーチも堂に入っていて、かなりのベテランなのだろうなあと思っていた。それが日本音楽協議会のMさんだった。

 いつごろからか顔見知りになり、時々一緒に歌うようになった。アコーディオンを始めたのは二十歳の時というから、やはり私のような素人芸とはレベルが違う。初見の曲でも、変調しても軽々とこなしてしまう。息子のT君を連れて、福島にも沖縄にも出かける八面六臂の活動をしている。障がいのあるT君を育てるだけでも大変だっただろうに、一緒に歌うパートナーとしてデュエットでステージに立つこともあるのだから凄い。♫今日はお母さんがいない~ パラダイス!♫などというオリジナルソングを親子で一緒に歌うのは仲が良い証拠で微笑ましい。

 

 三年くらい前から私も毎週金曜日の「茱萸坂うたいたい」で一緒に歌うようになった。茱萸坂は首相官邸前から財務省の方に下る道である。「うたいたい」は福島第一の原発事故の後、2012年3月に首都圏反原発連合が呼びかけた抗議行動参加者を歌で励ますために始まり、12年9月頃から日音協会員に限らず誰でも参加できる活動として定着したのだそうだ。台風や大集会の前を除いて、毎週誰かが来て歌っている。コロナで一時休止した時期もあったが、今年6月で455回を数えるという。

 私は固定的な集団に所属するのが苦手だし、誰の歌でも、誰とでも歌いたいので、敢えて音楽団体に所属していないのだが、こういう緩いつながりのグループに参加するのは楽しい。「ふるさと沖縄」、「大きな橋」、「あたり前の地球」など、集会や街頭活動で歌いやすい名曲をたくさん教えてもらった。

 

 日音協は1965年にうたごえ協議会から分かれてできた団体で、当時を知る人の話では双方に反目や対立やいろいろな困難があったらしい。原水禁運動が分裂したのも同じ頃だ。私は、当時の運動内部に政治的対立があったということを表面的にしか知らない。活動していた人々はそれぞれに一生懸命だったのだろうし、双方に言い分があるのだろう。ただ一つ確かなことは、分裂していては強くならないということだ。平和と人権擁護を願うすべての人々が連帯しなければ、強大な権力に打ち勝つことはできない。わかりきったことなのに、どうしてそれができないのだろう。

 

 私とMさんもウクライナ戦争に対する意見には違いがあるけれど、音楽を武器にして憲法を守り、辺野古埋め立てを止め、原発をなくし、平和と民主主義を守りたいという思いは同じだ。日本がいよいよ「戦前」になろうとしている今、多少の意見の違いはあっても同じ目的のため互いに切磋琢磨し、これからも一緒に歌い続けたい。