「働く」はみんなのもの

 

    シフト労働の闇(7)

     

    ジャーナリスト 竹信 三恵子


     基幹労働力の矜持 

 

 「シフト労働」は誤解されやすい。会社の都合一つで仕事があるときだけ呼び出す「オンコール労働」という認識が、この社会にはまだ乏しいからだ。

 まず、「シフト」というと工場の3交代労働のイメージが強く、8時間労働と工場の24時間稼働を折り合わせる配慮の産物というイメージがある。不安定労働とは結びつきにくい。

 サービス業でも、働き手の生活に合わせて好きな時間帯を選べる、柔軟な働き方というプラスの印象がある。オンコール労働自体も、急患に備えて在宅待機する医療関係者などの働き方として知られている。

 それが、店の都合で勝手に仕事を減らしたり増やしたりできる「便利な労務管理」として広がり、コロナ禍での急激な労働減少によって貧困の要因として注目されるようになった。

 背景には、「会社にとっての柔軟性」ばかりが先行し、「働き手にとっての柔軟性」の権利保障は後回しにされてきたことがある。

 オランダの「労働時間調整法」のように労働者の生活に即して労働時間を延ばしたり縮めたりする権利なしに、「働き手にとっての柔軟性」は難しい。

 だが、今回、注目したいのは、そんなシフト労働者たちが、生活苦に背中を押されるようにユニオンに駆け込み、訴訟にまで踏み切る例が相次いだことだ。

 店長以外はほぼ全員シフト労働者、という店も多いなかで、シフト労働者はいまや基幹労働力だ。男性の収入水準が下がり、家計も「大黒柱型」から「一家総働き型」へと変化している。

 にもかかわらずこの扱い、バカにしないでよ! という言葉を、取材の中で何度も聞いた。

 こうした「基幹労働力の矜持」が今、新しいルール作りの背中を押している。