真山  民「現代損保考」


                      

    海上保険で知るロシアのウクライナ侵攻と食糧危機

         損害保険が伝える世界の政治経済

        

 損害保険の嚆矢、海上保険

 

 自動車保険は1896年、火災保険は1680年、いずれもイギリスで誕生した。これに対し、損害保険の元祖である海上保険の始まりについては諸説ある。そのなかで興味ある説を、「現代損保考」で取り上げた『2030年 すべてが「加速」する世界に備えよ』(ニューズピックス)の著者ピーター・ディアマンディスが紹介している。「現代の保険業と同じようなリスクベースの料金設定を編み出したのはバビロニア人」であり、「およそ4000年前、バビロニア人は地中海で活動する商人が借金をして積荷を仕入れる時、追加で一定額を支払うと、輸送中に積荷が盗まれたり嵐に巻き込まれた場合、貸し手が融資を帳消しにする妙案を考えた」というのだ。

 

  “SWIFT”のロシア銀行排除で海上保険契約ができず

 

 損害保険のなかでも、誕生が飛びぬけて古い海上保険だが、2020年の海上・運送料は損保業界全体で約603億円、種目全体の保険料の約8兆6995億円の0.7%に過ぎない(自動車保険料の比率は48.2%、火災保険料は16.9%)。だが、海上保険、特に貨物海上保険の動きは、ロシアによるウクライナ侵略をはじめ、世界の政治経済情勢の影響を受ける商品、中でも小麦など生活に欠かせない穀物の動きをよくあらわしている(海上保険は貿易における貨物の損害をカバーする保険で、海運だけでなく空運や陸運による貿易にも対応している)。

 3月3日の日経は「物流混乱、世界に波及 ロシアの決済停止で海運マヒ」という見出しで、こう報じた。

 

 ロシアのウクライナ侵攻による経済の混乱が、世界の物流に波及している。コンテナ海運大手のAOモラー・マースクは、ロシア発着のすべての貨物輸送を停止した。ロシアに対する経済制裁の一環として、国際銀行間通信協会(SWIFT*注)が主要銀行を排除したことで海上保険の契約ができなくなり、穀物の取引も止まった。航空に続き海運が遮断され、食料や製造サプライチェーン(供給網)に影響が広がる。

 

 日経は「マースクがロシアを発着する海上、航空、鉄道輸送の新規契約を停止したのに続き、スイスの海運大手MCSや、シンガポールのオーシャン・ネットワーク・エクスプレスも海上輸送の停止を決定したことで、ロシアを経由する貨物輸送が一斉に止まった」と付け加えている。シカゴの穀物調査会社アグリソースの社長も「SWIFTによるロシアの銀行排除の制裁で、積荷の保険契約ができず、穀物の輸出が止まった」と証言している。

 

 穀物輸送に深刻な影響

 

 ウクライナの物流施設は、ロシアの侵攻直後の2月25日時点で、港湾施設はほとんどすべての港が閉鎖、空港もすべてが閉鎖」に追い込まれていた。

 ロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナ国民の犠牲はもとより、海上輸送の停止、物流の混乱を招き、食物、特に小麦粉の輸出の停滞により世界各国に深刻な影響を与えつつある。

 ロシアとウクライナは世界有数の穀倉地帯、とりわけ小麦の輸出量は両国合わせて世界で約3割のシェアを占める。ところが、戦争の影響で現在、黒海の穀物輸出港からの輸出がストップしている。主な輸出先は中東やアジア、アフリカの途上国で、小麦輸入の30%以上を両国に依存している国は約50カ国にも及ぶ。

 これらの国々では深刻な小麦不足で主食のパンの価格も暴騰し、市民の不満が増大。すでに経済的・政治的危機を引き起こしている。両国への依存度8割以上と、世界最大の小麦輸入国エジプトでは、3月の都市部のインフレ率が対前年比10%超と約3年ぶりの高水準を記録。主な押し上げ要因は穀物などの食料品で、戦争の影響がモロに直撃した形だ(「日刊ゲンダイ」4月19日)。

 経済危機下のレバノンもウクライナ産小麦への依存度が高く、影響は深刻だ。不況で外貨が不足している上、2020年に起きた大爆発で国内最大級の穀物倉庫は大破したまま。そのため、小麦の備蓄は1カ月半程度の量しかなく、販売数が激減したパン屋の前には連日、長蛇の列ができている。

 

 日本でも相次ぐ食品の値上げ

 

 日本も、これらの状況を対岸の火事とするわけにはいかない。日本の総合食料自給率(カロリーベース)は、2020年時点で37%、とりわけ低いのが、小麦が15%、豆類が8%、牛肉も飼料自給率を考慮に入れれば9%、豚肉が6%、鶏肉が8%(いずれも消費量に対する生産量の重量ベースでの割合)という状況だ。
これに、急激に進む円安が追い打ちをかける。

 メーカーが昨秋以降に値上げを打ち出したパンや冷凍食品など14品目のうち9割の店頭価格が2月までに上昇した。物流費などの上昇に小麦など原材料価格の高騰が重なっている。食品の値上げは4月以降も続いている。

 食品の値上げは、とりわけ母子家庭など経済的弱者に重くのしかかる。筆者の地域でも、フードバンクのボランティア活動を行っている仲間がいるが、毎回始めると1時間で用意した食品がなくなるという。

 損害保険は、世界の政治経済を伝えてくれる。

 

*注 SWIFT  銀行などの金融機関が、国境を越えたお金のやりとりをスムーズにできるよう、通信メッセージを送るサービスを手がける組織。正式な名前は「国際銀行間通信協会」(SOCIETY for Worldwide Interbank Financial Telecommunication) で、世界中の銀行が出資してつくった。200を超える国・地域の、約1万1千の金融機関が使っている。たとえば、ある銀行が外国の銀行からお金を送ってもらう時に、「○○口座に○○ドル入金して下さい」といったメッセージを伝える。1日に約4200万件のやりとりがある。