斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

    キャッシュレス化される社会

 

 

 ある週刊誌に作家の中村うさぎとタレントのマツコ・デラックスによる対談形式の人生相談コーナーがあって、先日、こんな悩みが紹介されていた。大阪の無職78歳の相談者が、自分は根っからのキャッシュ派なので、これからのキャッシュレス社会がとても不安だ、というのである。

 わが意を得たりと感じた。だが、いくら叫んでみても、誰も耳を傾けてくれない。ただ置き去りにされたまま、現金の排除とキャッシュレス化が一方的に進められていく世間に呆然とするばかりの日々。

 消費税増税の際にはキャッシュレスでの買い物にだけポイント還元の特典が付いた。現金で買う切符よりSuicaで払うほうが安い鉄道料金。新型コロナ対策では、現金に触れる商取引は感染しやすいと、あえて誤解させる表現が乱発されていた。

 マスコミも問題提起の機能を放棄している。ために醸成されたのは、キャッシュレスこそ絶対的な正義、嫌がる者は時代遅れの老害と吐き捨てられる世の中ではあるまいか。

 けれども、そんなはずはない。件の相談者のような思いに苛まれている人はいくらでもいる。しかもキャッシュレス社会とは、すなわち個人の買い物履歴がことごとく企業や政府にトレースされる監視社会を意味してもいるのだ。

 対談では私と同じ63歳のうさぎさんが、事の本質を比較的わかっていた。ただ、「キャッシュオンリーでもいいじゃない」と回答した後の、「どこの店でもキヤッシュを受け取ってくれなくなったら(スマホ決済の方法などを)覚えなきゃいけないけど、それはさすがにないでしょう」という見通しは、いかにも甘い。

 政府は近い将来、ほとんどすべての決裁におけるキャッシュレス化を推進する意向だ。ビッグデータの収集・解析によるマーケティングの生産性向上と監視社会の高度化。人間の尊厳という価値観への配慮は、そこにはない。