北 健一 「経済ニュースの裏側」


「口外禁止」で失うもの

 労働事件が和解で終わる場合、まるでデフォルトのように「口外禁止条項」が入れられる。「和解はするが、内容は人に言うな」というわけだ。

 企業側はなぜ「口外禁止」を入れたがるのか。中川拓弁護士の論文(『労働法律旬報』2月下旬号)によると、条項の必要性として企業側が持ち出すのが、「将来の紛争の予防」「他の労働者への波及回避」など。具体的には「会社の制度の当否が問題となっている事案において……他の従業員への波及リスクを回避」などとされる。

 Y社のA営業所ではタイムカードによる労働時間管理が行われず、従業員は時間外労働に追われ、退職と補充を繰り返していた。そこで働くXさんは先輩から、「かつて同営業所に配属され、退職したCさんがY社を相手に労働審判を申し立て、Y社は割増賃金を払ったらしい」と聞いた。Xさんも疲弊してY社を退職し、弁護士に割増賃金請求を依頼した(前掲論文から)。

 CさんとY社との労働審判は和解で解決したが、Y社は、「他の労働者への(未払い残業代請求の)波及回避」のために口外禁止条項を求め、その効果で、タイムカードなき労務管理が続いたのだろう。

 払うべき残業代を払わないのは労基法違反なので、和解条項(とくに裁判所などが関与して結ばれるそれ)で守られるのはおかしい。違法状態にフタをする結果、Y社は労務管理改善の機会を逸したともいえる。従業員が疲弊し辞めれば彼女、彼の経験はもう生かされず、採用・育成コストもかさむ。Cさんとの和解がXさんに伝わったように、いつかはバレる。

 中川弁護士は2020年12月1日、長崎地裁で、労働審判委員会が労働者の反対にもかかわらず労働審判の主文に口外禁止を入れたことを、労働審判法違反とする画期的判決をかちとった。記者会見で原告労働者は「自分の人生の重要な一部を、(口外禁止によって)永久に誰にも語ることができなくなってしまった」という喪失感を語った。

 紛争はさまざまで、たった一つの正解はない。だが、労働者の誇りの回復にも社会的公正にも、解決結果はなるべく共有されることが望ましい。労働者にプラスなだけではない。ひた隠すより、苦い和解を真摯(しんし)に受け止め現場改善に生かす方が、企業の利益にも結局はなる気がする。