真山  民「現代損保考」


                      

      「監視資本主義」に利用される自動車保険

        ロシアのウクライナ侵略と自動車保険データ

 

 ウクライナの「反ロシア勢力」を自動車保険からつかんだロシア

 

 ロシアはいつからウクライナ進攻を準備していたのか? 英王立防衛安全保障研究所(RUSI)が、2月15日に発表した『ウクライナ破壊の陰謀』によれば、「侵攻は1年以上前から綿密に計画されていた」という。そして、「征服まで視野に入れた何段階もの戦略が用意され、実際ロシア軍は概ねこの計画に沿って作戦を進めている」と付け加えている。驚くのは、『ウクライナ破壊の陰謀』の、次の件だ(朝日新聞 2月27日)。

 占領への抵抗運動を指導しそうな人物をロシアがすでにリストアップしている。ロシアは1月、サイバー攻撃によってウクライナの自動車保険のリストを入手し、そこから引き出した個人情報をもとに人物を特定した。RUSIのジャック・ワトリング主任研究員は、こう付け加える

 「ウクライナで市民運動が盛んなことは、ロシア側もよく認識しています。その中には、2014年の民主化運動『マイダン革命』(*注)を率いた人々がいます。ロシアの特殊部隊や占領当局は、その人物や団体を標的と定め、自動車保険リストから住所を特定したのです」(朝日新聞 2月27日)。

 

監視資本主義」とは何か?

 

 『監視資本主義』、昨年の「週刊ダイヤモンド ベスト経済書・ビジネス書」の第1位の書名だ。本書によれば「監視資本主義」とは、「企業が個人情報を収集することで、消費者の行動を個別に分析し、予測し、変容させ、利益を上げる仕組み」を指す。

 著者ショシャナ・ズボフハーバード・ビジネススクール名誉教授は、特に米IT大手企業グーグルに焦点を当て、「グーグルで何を検索したか、グーグルの管理するGmailで誰に何回、どんなメッセージを送ったかなどのデータから、私たちの興味や関心、人間関係がわかる」と述べている。「グーグルはこうして大量に抽出したデータを他の企業に売って、企業が私たち一人ひとりに狙いを定めたターゲット広告を打つことを可能にしてきた」というのだ。

 だから個人情報によって収益を上げる仕組みは、IT企業だけでなく、他の小売業やサービス業を含む市場全体に及び、実際のところ、日本でも多くの企業が「21世紀の石油」とばかりに個人情報集めに躍起になっている。

 

 監視資本主義のツール、自動車保険

 

 ショシャナ・ズボフ教授は、「第2部 監視資本主義の発展 Ⅴ・利益のための確実性」で、オールステート保険のCEOが「保険業界のグーグルを目指している」とし、「私たちも、運転している人々から得る様々な情報を人に売って、付加的な利益を得られるだろうか。そうするべきなのだろうか。これは長期的なゲームだ」と述べたことを伝えている。

 オールステートのCEOがこう述べたのは、2015年である。それから7年後の今日、ロシアはウクライナの反ロシア勢力の名前、住所の割り出しに、自動車保険をこの上ないツールとして活用した。

 デトロイト・センター・フォー・フィナンシャル・サービスは、次のように提案している。

 「保険契約者が運転している時間、場所、道路状況のほか、急な加速や高速運転、速度超過をしているかどうか、どれだけしっかりブレーキをかけているか、またどのくらい急速に曲がるか、方向指示器を使っているかどうかも記録する」ことによって、「保険業者(保険会社)はドライバーの行動を直接監視できる」

 マイカーに取りつけたIT機器が走行距離やドライバーの運転特性を測定・送信し、そのデータを収集・分析することで、個別のリスクに応じて保険料が決まる「テレマティクス自動車保険」の普及は、保険会社の事業費率と損害率の改善を可能にする。しかし、ショシャナ・ズボフ教授は、保険会社にとって、「それが最終目標ではない」と言う。

 「あなたの運転データをサードパーティ(第三者)に売って、貴方がどこにいて、何をしていて、何をしようとしているかを、サードパーティが解析できるようにする」が最終目的なのだ。

 ロシアはウクライナ人の自動車保険のデータをサイバー攻撃で盗取して、そこから個人情報を引き出したという。それと市民運動家のリストを照らし合わせれば、住所ばかりでなく、例えば運転距離や行き先まで把握していれば、市民運動組織を一網打尽とまでいかなくとも、芋づる式につかめたとも考えられる。

 ITと保険の融合、インシュアテックは、そういう危険を秘めていることを、私たちは知っておく必要がある。

 

 

*注 マイダン革命 2013年、当時のウクライナ・ヤヌコビッチ大統領が、仮調印まで済ませたEU(欧州連合)との政治・貿易協定を、ロシアとの関係に配慮し調印は見送った。これにEU寄りの野党勢力が反発、大規模な反政府デモが発生するなど国内は騒乱状態になった。14年2月、ヤヌコビッチは首都キエフを脱出。ウクライナ議会はヤヌコビッチ大統領の解任を議決し、トゥルチノフ(親欧米派)が大統領代行となった。この政変を首都キエフ中心部の「独立広場(マイダン)」に因んで「マイダン革命」と呼んでいる。