暇工作「生涯一課長の一分」

             少数派の発信力


 ロシアのテレビ局のニュース番組の途中、スタッフが反戦ボードでアピールした事件。暇は日本の企業内における少数派労組に準えて考えてしまった。国策に対して、処罰を恐れず公然と盾突いた勇気ある行動と主張は、ロシア内ではいまだ「少数派」だろう。

  だが問題は彼らが「少数」か「多数」か、ではない。戦争に対する反戦という真逆の意見がロシア内部に「ある」ことを示した意味の重要性である。それは侵略されているウクライナの人々や世界の反戦行動に勇気を与え、ロシア内における「少数」の反戦派が「多数」に変じていく可能性をも示すものとして、大いに希望をもたらすものでもある。

 「いま、左派の発信力が弱い」。本紙執筆者・岡本敏則さんはそう指摘する。暇があえてフォローすれば、「いま、労働組合の発信力も弱い」なかんずく「少数派労組の発信力が弱い」と重ねたい。

 十把一からげに括ることはできないが、労働組合といっても実際には経営者の代弁者であったり、連合の芳野さんみたいに自民党には大いに親和性を示す一方、左派を徹底的に毛嫌いする潮流も幅を利かす。もはや労働組合の多くは資本や権力に対する抵抗勢力ではなくなりつつある。

 だからこそ、暇が期待するのは、まともな労働組合の代名詞といってもいい少数派組合の発信力なのだ。「小さな声」というなかれ。ロシアの反戦派は少数であっても、あれだけのインパクトを与えたではないか。少数派労組はその存在と発言権は多数派労組と同様に公認されているのだから(ロシアとは違って、なんという有利な土俵が設えられていることだろう! )「少」は問題ではない。なのに、その権利を十分に発揮しているとはいえない現状が残念でならない。たとえば、職場向けのビラさえ全く出さないところもある。やろうと思えば、やれるはずの勢力や財政的基盤はあるのに、である。聞けば、「多数派労組の組合員対象に宣伝活動をやるのは組織介入になるから」などという。この理屈でいえば、反戦ビラは反戦派内部だけに配布しなければならないということになる。そんな卑屈で馬鹿な話はない。

 また「門前ビラなど古いよ」と、発信しないことへの理由付けをする向きもある。そういいながら、ネットやSNSによる発信を熱心にやっているわけでもない。要は、民主主義の根幹である自由な発信力を行使できるという、現存している権利をどれほど深く大切にし、理解しているかが問われているのだ。これぞまさに「平和ボケ」ではないか。

 蟷螂之斧であろうとも、言いたいことを言い募る。反対陣営にもこちらの意見を発信して議論を提起する。そんな組織や個人が多ければ多いほど自由や民主主義が守られる社会といえる。「少数派」労組の発信力は、その大切なピースなのである。