守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


   氷の雨の中で…

 

 2月25日、沖縄の仲間たちとロシア大使館前に抗議に行った。ものすごい過剰警備!警官がわんさといて、大使館入り口の道路を挟んだ向かい側にコーンを立て、5人ずつしかそこに立たせてくれない。歩道が狭いのは確かだけれど、一列に並べば一般の歩行者が通れないわけではないのにだ。「いつ、だれがそんな規則を作ったのですか」と警官に聞いたら、「上から言われただけなので知りません」と言う。「あなた自身の意見や考えはないのですか」と重ねて聞いたら、確信を持って「ありません」と答えたから、「それって民主主義の国に住む大人の人間が胸を張って言うことじゃないでしょ。それじゃあロシアや北朝鮮と同じじゃないですか」と言ってやったら、さすがにむっとした顔をしていた。下っ端の警官なんかを相手にするのも馬鹿々々しいから、「制服を脱いだら自分で考えてね」と思いっきり嫌味な口調で言って坂を下りたら、遅れて歩いていた仲間の一人が四人の警官に取り囲まれていた。70歳代の小柄な女性に武器を持っていないか職務質問したという。戦争に反対している私たちの方が犯罪者のように扱われているようで、不愉快なこと極まりない。

 そして、私たちを見る通行人の視線は冷たい。迷惑だと言わんばかりに肘鉄をくらわされることもある。テレビでもネットでも毎日ウクライナの悲惨な状況が報道されているのに、どうして他人事のように知らんぷりをしていられるのだろう。ヨーロッパの国々では万単位の参加者でデモが行われているのに、この国ではいまだに示威行動は市民の権利として認められていないかのようだ。というより、60・70年代より市民運動が大きく後退してしまっている。恐ろしいことだ。

 ウクライナが完璧な善玉で、ロシアが完全な悪玉といった勧善懲悪ストーリーで語れることではないと思う。戦争はどちらの側も人殺しをする。それでも、原発を攻撃したり、妊婦や新生児のいる病院を破壊したり、子どもや年寄りが避難している劇場を爆撃するのは看過できない戦争犯罪だ。さらには核兵器をちらつかせて威嚇したり、これに対抗して核抑止論を再燃させるのは、戦後75年半被爆者がずっと願い続けてきた核兵器廃絶の努力を水泡に帰することだ。目をそらせてロシアを黙認し、冷戦時代に逆戻りしてはならない。

 ロシア国営放送のニュースに突然登場したオフシャンニコワさんの勇気には感銘を受けた。彼女はこれまで政府のプロパガンダを無批判に広めてきたことを恥じると語ったそうだ。カミュの「ペスト」の主人公リウーが、疫病に勝つ方法は誠実であることだと言ったように、戦争をやめさせることも一人一人の誠実さにかかっているのだと思う。世界がどこに向かっているのかを考えると憂鬱になることもあるけれど、決して思考停止してはならない。絶望してはならない。小さなことでも、自分にできることを弛まず着実に続けていかなければならない。寒の戻りの金曜日、氷のような雨にずぶ濡れになって歌いながら改めてそう思った。