松久 染緒  「随感録」                   

 


       タリバンがアフガニスタン政権を樹立した不思議

 

 太平洋戦争で日本が敗戦した奇しくも同じ日付の2021年8月15日に、首都カブールへの無血入場を果たした「タリバン」がアフガニスタン政権を樹立した。タリバンの報復を恐れた政府側アフガン人たちが撤退米軍の輸送機に殺到して振り落とされる映像は世界に発信され、ベトナム敗戦・撤退時のサイゴン陥落を彷彿とさせた。テロの元凶などといわれていたタリバンがアフガニスタン政権を樹立した不思議は、どう理解すればいいのか。

 アフガニスタンは、パキスタン、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン及び中国に囲まれ、面積は65 万㎢、北西部と南部に平野があるだけの内陸の山岳国である。人口は約4千万人で、最大40%がパシュトゥーン人、30%のタジク人、10%のハザラ人、ウズベク人などからなる多民族国家である。「アフガン」はもともとパシュトゥーン人のことで、「アフガニスタン」はパシュトゥーン人の国のことだ。パシュトゥーン人には「助けを求めるものは命懸けで守る」という慣習法(パシュトゥーンワーリー)がある。米国が9.11テロの首謀者とするビン・ラディンの引き渡しをタリバンが最後まで拒んだのもこれによる。

 タリバンとはもともと「神学生集団」のことで、タリバン共同創設メンバーたちはペシャワルのマドラサ(イスラム神学校)の卒業生で、1996年カブールを初めて無血占領してイスラム首長国の樹立を宣言し、政治集団の名称に転じた形だ。タリバンはスンナ派だが、預言者ムハンマドの後継を巡り、イスラム教は大きく二つに分かれた。現在多数派のスンナ(スンニ)派は、預言者によって示された規範(スンナ)・言行・伝承に忠実に生きようとする人々のことを言う。(サウディアラビア、イラクなど)一方,預言者ムハンマドの死後、その従弟アリーへの忠誠を守り抜いた人々(シーア・アリー)がシーア派となった。(主としてイラン) なお、アフガニスタンの主な歴史は次の通り。

 

 1926年アフガン王国樹立、1973年王制廃止、共和制に

 1979年ソ連がアフガン侵攻、1989年ソ連撤退、アフガニスタン内戦、

 1994年タリバン勢力拡大、2001年米国同時多発テロ事件、米英アフガ

 ン侵攻・タリバン追放、イスラム共和国暫定政権成立

 2021年米国撤退、タリバンが大統領府制圧、イスラム首長国暫定政権

 の閣僚発表

 

 結論から言えば、世界の覇権を目指す中国に対抗するため、もはやアフガニスタン政府の汚職と腐敗に目をつぶり米国産軍複合体の利権を維持する余力をなくした米国は、当事者能力を欠く傀儡政権を見限り、テロとの戦いを口実に20年間にわたり数兆円を浪費した挙句、なりふり構わず撤退した。一方、タリバンは、ソ連侵攻に抵抗したムジャヒディーン(イスラム戦士)による国内の権力闘争に対し世直しを目指して蜂起し、北部同盟を追放し、イスラム法に基づく厳格な統治によってアフガニスタンに治安と統合をもたらしたのである。極悪非道なテロ集団というイメージは、米国やその傀儡政権による宣伝が大きい。追放された後、イランやパキスタンの援助を受けて抵抗運動を続け、国内各地の多民族集団と地道に時間をかけて調整してきたほか、カタール仲介によりガニ政権抜きで米国と単独和平協定を締結し、中国やロシアとの粘り強い外交努力で政権樹立にこぎつけたのだ。

 

 ユーラシアの通商路として地政学的な要衝であったアフガニスタンは、古くはアレキサンダー大王が征服して以来、紛争の舞台で、19~21世紀に英国・ソ連・米国という大国に侵略された。しかし英国は斜陽化し、ソ連は撤退後に国が崩壊し、米国も20年に及ぶ占領の果てに全面撤退した。

 8世紀アッバース朝に唐が敗退して以来だが、今度は中国が一帯一路(シルクロード復権)でアフガニスタンのタリバンを取り込もうとしている。ランボー(シルベスタ・スタローン)の「怒りのアフガン」ではないが、世界の大国がいずれも敗退したこの地で、はたして大中華帝国が覇権を得ることができるのか。世界史の実験は始まったばかりである。