昭和サラリーマンの追憶

 

 

           499か月 「5時まで男」を通した男

      

 

           前田 功


 上野仁さんとの付き合いは、筆者が1990年代後半からやっていた「三多摩・学校・職場のいじめホットライン」以来で20数年におよぶ。この数年、会うことはなくなっているが、年に一度は新年のあいさつとともに年間の動きを知らせてくれている。

 彼は昨年9月末、東芝を退職した。60歳からの5年間の雇用延長終了での退職だ。手紙には、「499か月(41年7カ月)を、『5時まで男』で働いてきた」「18歳から46年6カ月勤めて最終時給は1081.71円」。そして、「放射能たれ流す原発やめて安全な地球」をという標語を東芝に提言したとある。

 上野さんは、1975年、18歳で秋田の高校を卒業とともに東芝に入社し、府中事業所材料加工部製缶課に勤務する。「製缶」というが缶詰の缶を作るのではない。原子力発電の発電機などを格納する大きな缶を作っていた。20歳のときには,技能五輪で銅メダルをとるという優秀な工員だ。

 24歳のとき、工場の外でもらった 『労働者の声』(タイトルは「春闘を働く者の手に!」とあり、東芝の御用労組を批判する内容だった)と題するビラ一枚を封筒に入れて職場の同僚に渡した。

 このことを理由に、上司から執拗な「始末書」「反省文」の提出強要、長時間にわたる叱責、職場内での監視、課員全員による無視(職場八分)などのいやがらせが行われた。2~3カ月後には上司や同僚から暴行を受け、心因反応の診断で2週間の欠勤を余儀なくされた。 会社はこの欠勤に対して賃金の支払いを拒否した。

 このことから、彼は1982年1月、東芝を提訴した。労働組合と一緒になって繰り返す人権侵害と<職場八分>を暴く「職場八分裁判」だ。(ちなみに東芝労組は、連合傘下の電機連合傘下)一審で上野さんは勝訴したが、東芝は控訴。上野さん側は控訴審において東芝社内の秘密組織「扇会」の秘密文書を証拠として提出した。この「扇会」の実態がすごい。1974年に1800人余のメンバーで結成されたこの組織は、本社勤労部を生みの親とし、労働組合総体の御用化と会社・組合の方針に批判的な労働者を監視・抑圧する東芝版公安警察いやスパイ組織、である。その機関誌、名称「おおぎ」では、組合執行部を「健全派で固める」とか、配転について、「応じるという結論を出さねば職場にいられないというムードを作る」ために努力すると誓っている。そこには「問題者への対応」という章があり、「問題者」を判断するポイントをいくつも掲げ、実際、「職場での行動に空白部分が多く、昼休み時、終業後の行動が見当つかない」人などを「問題者」として尾行したりしている。

 この会の実態を明らかにされたことに慌てた東芝は、控訴を取り下げざるをえなくなり、一審が確定。上野さんの勝利となった。

 

 その後、東芝は、大規模なリストラを敢行し、数千人が早期退職に応じ、いまや崩壊状態だ。崩壊の原因は不正会計にあると一般には言われているが、会計だけでなく、上野さんへの人権侵害のような違法行為が職場内で平然と行われる企業風土が原因ではないか。タテマエではコンプライアンスとかガバナンスを云々しているが、そこで働く身近な人に対する人権侵害、違法行為をあたり前のように行ってきた結果、不正を不正と認識できない社内体質を醸成し、その結果が企業崩壊を導いたのではないか。

 最近、SDGsを標榜するのが大企業間で流行っている。しかし、そういった大企業が自社の従業員や取引先を違法に扱っているケースは多い。読者の皆さんが関係した会社にも似たような例があるのではなかろうか。

 熊沢誠(甲南大学名誉教授、経済学者・労使関係論)が上野さんについて書いた本の題名は、『民主主義は工場の門前で立ちすくむ』。言い得て妙である。

それにしても、残業強要だけでなく、リストラの嵐の中、上野さんにも退職を迫る圧力も加わったと思うが、再雇用定年まで499カ月、よく頑張ったな、と思う。

 上野さんに乾杯!