斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

  デジタル社会で生きること

 

 

 昨年もまた、いろいろなことがありました。

 ここでは年末の、ちょっとした些事について語らせてください。仕事場に溢れた本を整理していた時のことです。

 IT関係の本を集めたコーナーで、『つながりすぎた世界』と『つながらない生活』という2冊の翻訳書が目に留まりました。2012年の出版で、それぞれ〈インターネットが広げる「思考感染」にどう立ち向かうか〉〈「ネット世間」との距離の取り方〉という副題がありました。

 いかにも古くなってしまった印象です。もう古書の買い取り業者行きかな、と段ボールに放り込みかけて、少しためらいました。

 デジタル万能社会の危険や対処法を説く書物は、今でもたくさん出版されています。でも、近年のは脳への影響とかIT教育と人格との関係とか、監視社会だとか、個別具体的な応用問題が多く、件(くだん)の2冊のような、基礎的な、というか、人間同士がネットによって〃つながり過ぎること〃自体に根本的な疑念を投げかけるような論考は珍しくなったようです。

 つまり、もはやそんなことを言っても意味がない。ネットでつながり過ぎることは当然の前提として受け容れた上で、特に悪影響が大きいと考えられる領域に特化して検討を加える、という態度が一般化した、と考えられます。

 でも、それだけでよいのか。対症療法も大事だけれど、いつの間にか人間を規定している新たな社会秩序を疑う姿勢が失われたら最後、私たちはデジタルに支配されるだけの存在に貶められてしまいかねないのではないでしょうか。

 そこまで考えて、ああ、俺の時代遅れは、ますます加速度を増していくのだな、と天を仰ぎました。でも私は世の中の大勢がどうなろうと、自分は自分のままでありたい。

 2冊の本は再び書棚に戻した次第です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。