松久 染緒 「随感録」


           

 

                 天皇家の苗字

 今上天皇陛下(「いまうえ」でなくて、「きんじょう」と読む。現在その地位におられる方、徳仁天皇のことで、当今(とうぎん)ともいう。なお、陛下は階段の意で、高貴な方、身分の高い方々には、直接でなく階段の下にいる近臣を通して意思表示するの意。殿下、閣下など。また手紙の侍史の玉案下(机の下)なども同じ。注釈が4行にもなってしまった。)の姪が結婚し、小室という姓になった。「あ、よかったね、おめでとう」で済ませばいいのに、いつまでも周りがかまびすしい。日本国憲法にも、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。(第24条)」とある。

 ところで、天皇や皇族方にはもともと姓(苗字)がない。その理由は、名前は不特定多数の他の人や物と区別するためにあるが、天皇家は古来一つしかなく区別する必要がないからだ。皇族には高松宮、秩父宮、秋篠宮など宮家の名前はあるが、天皇家にはない。浩宮・徳仁だけで通用するのだ。

 天皇家は、過去、武烈天皇の後を地方出自から継いだ(だから継体)応神天皇五世の孫、継体天皇や、持明院統と大覚寺統に分裂・並立した南北朝、壇ノ浦に没した幼帝安徳天皇には子がないなどからして万世一系ではないが、現在まで姓(苗字)がなく続いている。

 一方、天皇家にも姓(苗字)があるという研究もある。岡山大教授小林惠子の「古代倭王の正体-海を越えてきた覇者たちの興亡―」(祥伝社新書の腰巻には「日本列島生まれは一人もいない!」とあり、過激な本だが)によれば、「神武天皇のルーツは神でなく、タクラマカン砂漠のオアシス都市亀茲(クチャ)出自の大夏氏系の休氏(苗字は「休」)だ」という。そういえば、大野晋編古典基礎語辞典(角川学芸出版)には、「安見(やすみ=休)しし」という枕詞があり、これは「わが大君」にかかり、万葉集では「安らかに治める、八方を統べ治める」意を表すという。

 「高光る日の御子やすみししわが大君あらたまの年が来経ぬれば」

という歌が記歌謡にある。正に天皇のことだ。

 名が「きゅう」といえば、孔子字名は仲尼名は丘(こうしあざなはちゅうじ なはきゅう)があるが、これは違う人のことだ。 閑話休題(それはさておき)。

 となると、万葉集の内大臣藤原鎌足の歌「吾はもや安見児(「やすみ」こ)得たり皆人の得がてにすとふ安見児得たり(巻二・九五)」が気になる。

 斎藤茂吉の「万葉秀歌(岩波新書)上巻」の解説によれば、「一首は、吾は今まことに美しい安見児を娶った。世の人々の容易に得がたいとした美しい安見児を娶った、というのである。」、「率直な表現によって、特に第二句と第五句で同じ句を繰返しているところに作者が歓喜して得意になって歌っているのがあらわれている」という。しかし、茂吉はこれ以外の解釈は否定しているが、あの鎌足のことであるから、私には、天皇と閨閥を結んだかのように(鷗外の「かのように」)、もっと言えば安見児を得てすでに事実上、(休という苗字の)天皇の地位を得たも同然だと戯れて歌ったというのが本当のところではないかとしか思えない。