守屋 真実 「みんなで歌おうよ」

                     


 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 

                   


 アメリカのGさん

 

 12月のある金曜日。いつものように首相官邸前で辺野古埋め立てに反対するスタンディングをしていたら、スポーティーな自転車に乗った外国人の青年がこちらを見ながら通り過ぎた。と思ったら、自転車を押しながら歩道を歩いて戻って来た。私たちの向かい側に駐輪するとサドルバッグをのぞき込み、取り出したのは、漢字で戦争と書いた上に赤い✖が付いているプラカード。それもかなり年季の入った代物だ。彼はそれを高く掲げて、私たちの列に加わってくれた。「一緒に写真を撮っていい?」と日本語で聞いたら、「大丈夫です」と滑らかな日本語が返ってきた。

 Gさんは英語教師。日本に来て3年目だというが、それでこんなに上手な日本語が話せるのは大したものだ。NAJAT(武器取引反対ネットワーク)の活動をしているという。どこの国から来たのかと聞いたら、一瞬横断幕に目を走らせ、少し困ったように「アメリカ人です。ごめんなさい」と答えた。

 私もドイツでフィリピン人の同僚に家族の写真を見せてもらっていた時に、『おじいさんは戦争で片足をなくした…』と聞いて言葉に詰まったことがある。同僚はすぐに『あなたが責任を感じることはないのよ』と言ってくれたけれど、旧日本軍がアジアの隣国で行った蛮行を思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 私たちも口々に彼が謝る必要はない、どこの国にも良い人と悪い人がいるものだと言ったけれど、Gさんにとってはやはり肩身の狭い思いだっただろう。

 自民党や右翼は、日本の若者がいつまでも謝罪し続けなくてもよいようにするという名目で、慰安婦問題や旧植民地での差別や残虐行為をなかったことにしようとするが、そんなやり方で他国の信頼が得られるわけがない。謝り続けなくて済むようにするためにこそ、一度はきちんと非を認めなければならない。今の日本の若者のどれだけが、かつての日本の戦争犯罪を知っているだろうか。どれだけの人が日本の歴史を恥じ、ごめんなさいと言えるだろうか。

 スタンディングの終わりにWe shall overcomeをGさんも一緒に歌った。それから、いつものようにお菓子を分け合った。もちろん飛び入りのGさんも飴やチョコレートをいっぱいもらって喜んでいた。みんなに「また来てねー!」と見送られ、Gさんは「ありがとう!」と手を振って去って行った。なんだか、爽やかな風が通り過ぎたようだった。