「盛岡だより」(2022.12) 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイスト・クラブ会員・日産火災出身)


 

           悩むな、考えろ 

 

  「悩むな、考えろ」と、彼女は言う。彼女とは、哲学者であり文筆家の池田晶子さんのことである。著書の『14歳からの哲学』(2003 発行トランスビュー)は27万部のベストセラーになり、全国の学校で副読本として使われたから、知っているひとは多いかもしれない。彼女は、『考える日々』(1998 毎日新聞社)でいっている。

 『「考える」と「悩む」はまったく違う。考えていると言いながら、ほとんどの人は悩んでいる。きちんと考えていないから、人はぐずぐず悩むのだ。世の人は、考えれば分かるのに「分からない、分からない」と言って頭を抱える。なぜ考えないのか、私にはそれが分からない』

 

 悩み事は誰にもある。考えても分からないから悩み、答えが出ないから悩むのであって、「普通のひと」はそうではないのか。それを、悩んでいるだけで何も考えていないと言われてしまっては、少々癪(しゃく)にさわるし腹も立つ。

 「私の書いているものは、なんかけんか腰だ」ともいっているが、その通りだ。その言いぐさは、けんかを売っているようにも説教しているようにも聞こえる。理想が現実にならない悩みは、心の問題だとしてしまう論には同意もしかねる。ただ、「悩むな、考えろ」といわれると、どこか痛いところを突かれた気にはなる。

 しかし、彼女にも悩むことはあったようだ。北海道を旅したときのエッセー(『考える日々II』1999 毎日新聞社)にそれが書かれてある。

 

 釧路湿原で「ノロッコ号」に乗って終点の駅まで行った。列車は30分後に折り返す。それでは湿原を散策する時間がない。次の列車は4、5時間後だという。さてどうしようかと悩んでいると、居合わせた車掌に「悩まないで、考えなくちゃ」と言われる。彼女は、私がいつも言っていることを言われてしまったと苦笑する。

 彼女は、カッコーの音を聞き、サギの姿を見て、たっぷり散策を楽しむ。そして、決断するのも「考える」に含めていい。しっかり考えて決断すれば、迷い悩めることも上手に悩めるはずだと、言い訳のように「本心」をのぞかせる。

 私は、悩まない人より悩んでいる人の方が好きである。それが人間らしいし、悩んでこそ成長もすると思うからだ。だが、彼女がいうように、決断も考えるうちに入るとすれば、大きな悩みごとも上手に悩むことができるような気はする。

 会社で社員から悩みごとの相談を受けたとき、「悩むな、考えろ」と言うことが増えたのは、この本を読んでからである。そのとき、「考えたら、決断することだ」と付け加えているが、何度も聞かされた彼らは「また言われた」とか「言われると思った」と反応する。

 

 彼女は、2007(平成19)年2月23日、46歳で亡くなった。そのときの新聞には、『「存在」の不思議さを問い続けた文筆家』として紹介された。