雨宮処凛の「世直し随想」


 親ガチャ国ガチャ役所ガチャ

 

 最近、「役所ガチャ」という言葉を知った。

 「親ガチャ」「国ガチャ」のように、自分では親を選べず、産まれる国も選べないことを、運次第の「ガチャ」(ソーシャルゲームやカプセルトイの販売機)に例えた言葉の役所バージョンである。

 その言葉に、思わず「まさに」と叫びそうになった。

なぜなら、役所の窓口やケースワーカーの対応の自治体格差は日々、身をもって感じていることだからだ。

 それは生活保護申請の同行に何度か行った人であれば皆、感じていることだと思う。職も住まいも所持金も失ったなどの当事者に対して親身に寄り添ってくれる役所もある一方で、説教じみた話を繰り返す職員がいる役所、話もロクに聞かずに追い返そうとする職員がいる役所もある。

 同じように生活保護という最後のセーフティネットを利用しようとしているのに、ある地区に住む人は適正利用という「アタリ」が引けて、別の地区の人は「水際作戦」という「ハズレ」を引いてしまう。そんな当たり外れがあること自体、大問題なわけだが、最も問題なのは、このガチャに外れた場合、死に直結しかねないということだ。

 「親ガチャ」「国ガチャ」という言葉は、「自己責任」から人を解放してくれる一方で、強烈な諦めも漂わせている。

 だけど役所は、住民の声で変えられる余地が国や親よりは多少ある気がする。役所ガチャのハズレと言われないために、すべての自治体はこの言葉を胸に刻んで仕事をしてほしい。そんなことを、思った。