「盛岡だより」(2022.10) 

 

       野中 康行 

  (日本エッセイストクラブ会員・日産火災出身)


 

           《岩手の小説家》 大平 しおり

 

 

 『北の文学』は岩手日報社が出版する公募文芸雑誌である。創刊は1955(昭和30)年、監修は井伏鱒二・丹羽文雄・尾崎士郎・川端康成・鈴木彦次郎らそうそうたるメンバーであった。

 一時中断したが、作家の三浦哲郎、三好京三、須知徳平、太田敏穂らによって再刊、現在に至っている。このような文芸誌を発刊している新聞社は全国でも希有である。

 

 2004(平成16)5月発刊の第48号で優秀作に選ばれたのが、「古事記」の選録にたずさわった太朝臣安萬呂(太安万侶)を一人称の「私」として、その現場を語る作品『ふることのふみ』であった。1300年も前のことを、こうもリアルに生き生きと描ける作者の力量に感心し、きっと長年古事記を研究してきた方だろうと思った。だが、選考過程のなかで、作者は18歳、応募時点では高校生だったとあったから驚いた。最年少での受賞だった。

 合評会は5月に行なわれた。県外の大学に入学していた彼女は、帰省して参加してくれた。まだ女子高校の制服が似合いそうな口数の少ない「普通の女の子」で、それにもギャプを感じたものだった。

 当時編集委員だった及川和男氏は、「古事記をよく読み込んでいることがうかがえる。乱れのない作品構成から、並々ならぬ才能を感じさせられる」とふだん辛口の氏にしてはめずらしく褒めた。

 

 大学在学中は寄稿小説を寄せていたが、大学卒業後、岩手に戻って働きながら書き続け、結婚した。

 第15回電撃大賞に応募したことから編集者の目に止まり、2013(平成25)年、「リリーベリーイチゴショートのない洋菓子店」(メディアワークス文庫)で作家デビューをはたし、仲間はささやかな祝賀会を催した。以後、年1冊のペースで主にライトノベルの作品を発表し続けている。今は、専業作家であり、3児の母である。

 

 専業となると多忙になって、なかなか合評会などに顔を出すことが少なくなるものだが、彼女は、合評会やその他、仲間の集まりには必ず参加し会話を楽しんでいる。そのようすから、少なくとも義理だけの参加ではなさそうだ。たずねたことはないが、この『北の文学』が作家への出発点だと思って「古巣」の思いがあるのかもしれない。だとすれば、書き手を育てるという『北の文学』の趣旨に沿って育った作家といえるだろう。

彼女は、もうひとりの仲間と岩手芸術祭・小説部門の選考委員を務め、すでに小説家を育てる役目に回っている。

 

 『北の文学』から巣立って活躍中の専業作家が7人はいる。他の仲間も、頼まれて市民劇場のシナリオを書き、ミニコミ誌や同人誌に作品を発表し続け、集まってはお互いの作品を検討し合っている。研鑽に励みながら、中央の大きな賞に挑戦することも忘れてはいない。

 近年、応募者の年齢層が若くなった。彼らがいずれ『文学の国・岩手』の将来を担ってくれる人たちで、いま支えているのは彼女ら若手作家たちである。

及川和男氏の『偲ぶ会』で「小説を1から教わった」と涙ながらに語ったのは(本紙8月号)、彼女である。