暇工作「生涯一課長の一分」

         あらためて東海・松沼夫妻のたたかいを思う


 「流石、東京海上日動!社員の気持ちを先取りした素晴らしい制度ですね」

 若い損保マンのK君が興奮した口調で暇に同意を求めてきた。東京海上日動(以下東海)が、社員が同意しない転勤や転居を2026年までになくすと報じられたことを言っているのだ。対象は「グローバルコース」に所属する約6千人である。「グローバルコース」とは、いわゆる全地域型社員のことで、海外を含むすべての拠点への転勤転居が勤務条件だった。東海は、これらの社員全員からあらかじめ転勤の可否や希望を聞き取り、人事異動の発令時には本人の同意を得られるようにするという。

 もちろん、暇も、この東海の方針はいいことだと思う。だが、K君のように手放しで礼賛するほど単純にはいかないわけがある。時代の先取りを言うなら、もう半世紀も前にそのチャンスはあったのだから。

 半世紀前。東海で共働きしていた若い夫妻がいた。松沼一郎・絢子夫妻だ。ところが青天霹靂の生木を裂く様な一郎さんへの配転命令。夫婦が同居したいなら女性が退職すればいいじゃないか。これが会社の言い分だった。女性差別を含む二重の人権侵害だった。松沼夫妻は同居を求めてたたかった。同じ時期に興亜火災の深野和之・直子夫妻にも同様の転勤命令が発せられた。両夫妻は連帯してたたかうことになる。労働組合の支援も十分に受けられない中、「松沼・深野夫妻守る会」が結成されて、企業を超えた独自の大衆闘争が大きく発展した。たたかいは勝利し、夫妻は同居を勝ち取り、その後の「住友・磯辺夫妻」「住友・近藤夫妻」への別居を強要する配転命令を阻止するたたかいの勝利にも大きな影響を与えることになる。

 だが、この教訓から東海やその他の損保が人事制度の基本を変えたわけではない。たしかに、その後、夫婦別居を強要するあからさまな配転こそ目立たなくなったが、本人の同意を前提としない人事権こそ、労働者支配の重要な一要素だと信じて疑わない企業スタンスはずっと続いていたのである。

 しかし、そもそも、夫婦に別居を強いてまで一方を配転しなければならないほどの事情が企業にあるだろうか。また、本人が同意しない転勤を強要する人事制度が、果たして企業自身の利益にもなるのだろうか。半世紀も前の、こんな根源的な問いかけに対し、損保企業がいままで明確な内容を持って答えたことはなかったのである。

 今回の東海の新人事制度は、その問いかけに対する、半世紀後の一応の制度的回答であろう。半世紀前であれ、現在であれ、その問いかけの真理は揺るがない。真理が真理として公認されるためには50年以上ものたたかいが必要だったわけだ。いまは亡き松沼夫妻のたたかいに思いを馳せる暇であった。

(写真は集会で訴える松沼夫妻)