昭和サラリーマンの追憶

 

 

        物品税の復活を・・・「幸せシェア」として

 

      

 

           前田 功


 1つ数百万円、数千万円というブランドものの高級腕時計がバカ売れしているという。(例えば写真のオーデマピゲは27,999,000円)

 その時計をしていれば、一日が25時間とか30時間とかになるのなら別だが、機能という点では、100均で売っている時計とさほど変わりはない。そりゃー、100均のモノは何日かすると何秒か進んだり遅れたりすることはあるかもしれないが、時刻を表示するという機能(使用価値)において何万倍もの違いがあるとは思えない。

 時計だけでなく、貴金属・宝石・有名画家の現代アートなど、われわれ庶民とは関係なさそうな物だが、売れに売れて百貨店の外商などはウハウハだそうだ。

 半世紀ほど前の話になるが、貴金属・宝石・ゴルフ用具・ブランド品の高級腕時計やバッグなど贅沢品に対しては物品税というのがかかった。品物によって率は違ったが、25~50%くらいだった。筆者が初めてゴルフセットを買ったとき、20数%を物品税として上乗せして払った記憶がある。消費税が贅沢品にだけかかっていたようなことだったが、その後、すべての商取引に消費税がかかるようになり、物品税はなくなった。

 

 消費税や物品税など付加価値税は、消費を抑制し経済によくないという論があるが、貴金属・宝石・ブランド品などについてはまず影響がないと考えてよいと思う。40万円のハンドバッグに25%の物品税がかかり50万円になってもブランド品を買う気持を減退させることはない。かえって高額な物を所有しているという満足感を増大させる。同じハンドバッグでも「私のは50万円よ」と誇示できる虚栄心を満足させる。

 同じことは「料理飲食税」についても言える。昔は、「遊興税」と言われた時期もあったらしいが、飲み屋・レストラン・料理屋などで、一人分で8千円だったか1万円だったか(宿泊は1万5千円?)以上の支払いには税が加算されていた。(現在、有名ホテルやクラブ・バーなどの中には、飲食について10%のサービス料を加算しているところがあるが、これは税金ではない。)これも消費税の導入とともになくなったが、こういうのにも消費税とは別に課税すべきだ。 

 物価は上がり、賃上げはわずか。格差厳しきこの頃である。所得再分配という点から、生きるために必要不可欠でないモノ&コトに対する課税は多くの国民の支持を得られると思う。 

 

 以上述べたような「贅沢」は「贅沢ではない」という人もいると思う。しかし、「贅沢」か「贅沢ではないか」が問題なのではない。「これを手に入れるためにはそれくらい払ってもいいや」という気持ちになるかどうかである。

 1本何万円もするワインやシャンパンなどは当然だが、「プチ贅沢」ということで、普通のものと比べて値段が2~3倍するようなプレミアムビールやアイスがテレビCMで流れているが、こういうのにも負担してもらったらいいと思う。

 寿司屋のランチのセットで、「松1980円、竹1280円、梅980円」とあって、「松」を選ぶときは、カネにこだわらないときだ。そんなときは、「松」に25%くらいの税をつけても「松」にする人は「松」にすると思う。

 カネが有り余っている人でなくても、別の安いもので済むのに自分のこだわりでそれを買うという人にはある程度の余裕がある。そういう場合には、20%や30%負担が増えてもさほど影響はないと思う。

  こういう高額のものやプチ贅沢ものを買うとき、その人は、経済的に幸せなのだ。少なくとも、買えない人よりも。

 ノブリス・オブリージュという言葉がある。「高貴なるものの義務」などと訳されるが、今の時代で言えば、「経済的成功を収めた人は、世の中に何か良いモノゴトを還元すべきだ」ということだ。

 経済的に幸せなる者が、その幸せを、多くの人とシェアする。その一つの手段として、と思ってもらったらどうだろう。

 ネーミングは、○○税とかではなく、幸せをシェアする(分かち合う)「幸せシェア」なんてのはどうだろう。