暇工作

      「生涯一課長の一分」


           「黒い雨」訴訟に思う


  暇が所属する少数派労組がボーナスの増額要求を行ったときのこと。なぜか多数派労組の方は組合員の声に応えず、会社に忖度した(つもりの)ゼロ要求だった。ところが、会社は「予想以上に業績が良かった」と、暇たちの要求通りの額を多数派労組を含め従業員全員に支給した。暇たちに異議があろうはずはない。

 多数派労組幹部としては自身の忖度と会社の行為の齟齬を言い繕うこともできなかったが、多数派労組の組合員の中から、「これは少数派労組のお陰だ。せめてカンパを届けよう」という動きが起きて暇たちを感激させたことは今も忘れない。

 

 なぜ今、そんな話かと言えば、「黒い雨」訴訟で原告側が勝訴し、政府が上告を断念したというニュースに接したからだ。被ばく76年後の救済である。原告84人が勝ち取った「権利」は、原告以外の多数の被爆者にも適用される。この成り行きが、暇たちのボーナス要求が、対象者全員に支給されたことと重なったからだ。

 暇は思う。「黒い雨」訴訟の原告84名の中に加わら(れ)なかった人々は、この「原告勝訴」をどんな思いで迎えたのだろうかと。

 暇は「要求もせずに、成果だけ受け取ることに抵抗はないのか」などと嫌味を言いたいのではない。むしろ逆である。要求が実現した背景には、要求を前面に掲げて積極的に活動した人々の力だけではなく、声なき人々の幾重にも積み重なった思いがあったからだ。誰もが一様な姿でたたかいに加われるわけではない。原告団に加わることは「お上に盾突く」ことと躊躇した人もいただろうし、具体的行動は出来なくても闘うなかまに心を寄せていた人もいただろう。姿形は違っても、みんながそれぞれ持てる力を寄せ合って結果につながったことに自信を持ってほしい。

 多数派労組の心ある人々が「少数派の奮闘にせめてカンパを」と行動を起こしたように、たたかい・運動は、多様な姿で発展継続していく。「言い出しべえ」の大切な役割を忘れてはいけないが、手柄はその人々だけのものではない。

 そんなダイナミックな闘いのうねりとは無関係に、忖度しか頭になく、人びとの希望や要求に真摯に向き合おうとせず、大局から外れたところで、ピエロを演じる人々もいる。