昭和サラリーマンの追憶

官僚たちの今 

 

      

 

           前田 功


 官僚たちはいま 

 昔、経産省(当時は通産省)の官僚たちをモデルにした「官僚たちの夏」という小説があった。(著者は城山三郎。1975年刊)。2~30年前と10年前余り前の2回、テレビドラマにもなった。当時、日本は「官僚に支配されている」という批判もあったが、この本に登場する官僚たちは、「国家に雇われているのであって大臣に雇われているわけではない」と語り、日本をリードする気概に溢れていた。

 

 組織風土の劣化

 そのようなルーツを持つ官僚たちがおかしくなっている。この6月に報じられた経産省の若手キャリアの犯罪。報道の多くは、この犯人の二人の特殊性について詳しく論じている。しかし、これは、彼ら個人の問題もあろうが、霞が関の組織風土がこういう犯罪を生むまで劣化してきたということだろう。情けない話だ。

 この情けなさは、赤木さんのことにかかわる財務省や、接待にのめり込んだ総務省の官僚たちともつながる。

 霞が関全体の組織風土が、おかしくなっているのだ。何かがおかしくなるには必ずその原因がある。このところ「100年に1度の大災害」が毎年のように起きているのも、人間が、いや資本主義が地球を痛め続けてきたという原因がある。

 

 「不正」「違法行為」がカルチャーに

  霞が関の不祥事、犯罪発生の原因は、安倍と菅にある。安倍や菅が、口から出まかせの嘘を言い、その嘘がばれそうになると、それを隠蔽するための工作を官僚たちにやらせてきた。その背景には、逆らう者をバサバサ更迭する恐怖人事があった。官僚たちは、安倍や菅そしてそのとりまきたる官邸官僚たちの顔色をうかがってヘコヘコするようになってしまった。

 一般国民には、見せることも説明することもできない隠蔽や改ざん(世間ではこれを「不正」という。)が霞が関では日常化し、「不正」が霞が関のカルチャーとなってしまっているのだ。

 国をより良くしようと志をもって官僚になった若手も、このカルチャーの中で、まっとうな意欲を低下させ、「長い物には巻かれろ」「バレなきゃ甘い汁を吸えばいい」などと思うようになり、モラルが低下し、それが官僚全体の「質」の低下を招いているのだ。

 霞が関に働く若手キャリアの離職やメンタルによる病欠は民間の4倍と言われ、この状態を感じ取った学生たちは霞が関に応募しなくなってきているという。 

 霞が関が情報公開の対象になって20年が過ぎたが、情報公開や文書管理の状況も、この10年かなり悪化した。情報公開法の条文をどう読んでも、開示するしかないはずのものを非開示にしたり、黒塗りしたり、また、存在することがわかっている文書を「不存在」だとしたりする。こういう法違反を平気でやるカルチャーが根付いてしまっているのだ。霞が関は、一般国民に見せることができない、説明することができないことが当たり前に行われている組織になってしまった。

 この組織風土の劣化が、28歳の2人のキャリアをあのように育てたのだ。

 

 霞が関を一度全部、業務停止させたらどうか

  今や、霞が関は「クソどうでもいい仕事(ブルシットジョブ)」に溢れていると言える。いや、どうでもいいどころかやらないほうがいい、やってはならない仕事が溢れている。

 一度、霞が関全部を業務停止させたらどうか。その停止で、困ったことができてきたら、最低限のことだけやればいい。そうすると、実務の経験もせず1年や2年で変わっていくキャリアの管理職は不要なことがわかる。彼らはやらないほうがいいかやってはならない仕事ばかりやっているのだ。課長以上を全員、体育館に閉じ込めて、仕事に一切口出しできないようにしたら、霞が関も本来やるべき仕事がスムーズに進むだろう。いや、やらなければならない仕事なんてその省庁にはなかったということになるかもしれない。