弱者となった若者たちよ


守屋真実

 もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 もうじき8月になろうとするのに、私はまだワクチン接種を一度も受けられていない。

 福祉従事者として優先してもらえるのかと思っていたが、そんな気配もなく自治体の集団接種が始まった。最初は75歳以上、次は65歳以上だったから、次は55歳以上でようやく私の番が回って来るかと思っていたら、今度は16歳から64歳まで十把一絡げになった。こうなったら時間の融通のつく専業主婦や高校性、大学生などが圧倒的に有利だ。私のように小規模で、ぎりぎりの人数で回している事業所に働いている者は、そう簡単に休んだり遅刻・早退したりはできない。目下の予約は8月30日なのだが、ワクチンの供給が不確かなので、この予約もどうなるのかわからない。

 でも最近は、私は最後の方でいいかなと思っている。というのは、二週間ほど前に民放のニュース番組でインタビューされた東京で勉強している学生が、「就職は郷里でしたい。でも、ワクチンも受けられないし、自費で何度もPCR検査を受ける経済力もないから、思うように就職活動ができない」と言っていたのを聞いたからだ。この時、「私はもう自由に好きなことをする生活を楽しんだのだから、私よりこういう年代の人が先ではないか」と思った。向こう半年の間に受験や就職を控えている人たちは、まさに人生の分かれ道にある。希望の学校に進学できるか、条件の良い職に就けるか、それとも一生派遣や個人事業主で搾取されつくすかが決まってしまうかもしれないのだ。格差社会を一朝一夕に変えることはできないから、せめて誰もが存分に力を発揮できるように配慮してあげるべきではないだろうか。

 コロナ禍で明らかになったことの一つは、若者が社会的強者である時代はとっくに終わっていたということだ。私が協力しているフードバンクでも、来場者の7割くらいは普通なら働いている年代の人たちだ。一か月収入を絶たれたら、もう住居を維持できなくなってしまった人も少なくない。社会的弱者というと子供や高齢者、障がい者、シングルマザー、外国人を連想するけれど、今や若者の多くも経済的には弱者なのだ。収入の良い若者でも、寝食を削って働かなければならなかったら、長期的には強者でいられなくなるだろう。

 そして、若者が弱者になった原因の一つは、自己責任論を刷り込まれてきたからだ。誰かに「助けてください」と言えれば、人とのつながりが生まれ、連帯して改善する道が開かれることを教えられていないのだ。分断されたままコロナ不況と気候変動の時代を生きていくのはどんなに難しいことだろうか。

 すでにワクチン接種を受けた人を非難するつもりは毛頭ない。悪いのは、年齢を問わず、希望する誰もが速やかに接種を受けられるようにすることができない政府である。でも、私たち高年齢層ももっと若者の置かれている現実を知り、彼らに援助の手を差し伸べるべきだと思う。こんな無能な政権を倒すために、老いも若きも手を携えて闘わなければならないのだから。