昭和サラリーマンの追憶

「こいつだけは当選してもらいたくない」と思うときは…

      

 

           前田 功


 嘘ばかり言っていた安倍が辞めて、嘘と隠蔽が少しは少なくなるかと思ったが相変わらずだ。菅首相は今のところ、明確な嘘は安倍ほどは目立たないが、野党や記者の質問に対して、まともに答えず、的をはずした官僚の作文を読み続けるだけ。まさに「壊れたテープレコーダー」だ。これは、説明を拒否しているということであり、「隠蔽」しているということだ。国民に対する「説明」は政府に求められる重要な責任のはず。

 自民党や公明党は、こういう隠蔽ばかっりやっている政権を支え、のさばらせている。ほとんどの人は、テレビやネットのニュースやワイドショーで菅の答弁を見ているときは、「誤魔化さずに、きちんと質問に答えろよ」と思っている。しかし、その思いが選挙に活かされず、こういう隠蔽をよしとする党が選挙で勝っている。

 「投票に行ったところで何も変わらない」と言う人がいる。私もそんな気持ちから選挙に行かなかったこともある。選挙の仕組みがおかしいのか。そうなのかもしれない。

 しかし、選挙が近い。選挙制度改革を待っているわけにいかない。今の制度の中でも、こんな政権をのさばらせない方法をとらなくてはと思う。 

20年近く前になるが、当時首相だった森喜朗は、「(無党派層は)(選挙に)関心がないといって寝てしまってくれれば、それでいい……」と言った。そうだ。「投票に行かない」ということは、今の制度のもとでは、優勢な候補者に票を入れたことと同じことになるのだ。

 自分の支持する政党が候補者を立てたら、落選確実でもその候補者に投票するという人は多い。私と同じように現政権を批判している人の中には、「私の選挙区では支持している党が候補者を立てていないから、選挙に行かない」という人もいる。

 あの人ならと思う人が選挙に出るということがある。もともと知り合いだったり会って話を聞いたりして親しみが持て、この人ならと思う。しかし、マスコミの事前予想では落選確実。でもこの人に投票する。私にもこれらに似た経験がある。   

こういった行動は、結果としては事前予想1位の候補者に入れたのと同じである。

 小選挙区や首長選のように当選者は一人という場合、こいつには当選してほしくないと思ったら、事前予想2位の候補者がいまいちでもその名前を書く。これしかない。

 

 棄権しようと泡沫候補に投票しようと、投票権の使い方はひとりひとりの自由だ。しかし、こいつには当選してほしくないという奴に投票したのと同じ結果となるような使い方はもったいないと思う。