今月のイチオシ本


  『伊勢物語』&髙樹のぶ子『小説伊勢物語業平』

 

               

                岡本 敏則

 


 NHKのEテレで「100分de名著」という番組をやっている。月4回の集中講義。『資本論』を斎藤幸平氏、カイヨワ『戦争論』を西谷修氏など講師は多士済々。

 昨年11月には髙樹のぶ子氏(作家1946年生)が『伊勢物語』を講じていた。それに触発されてコロナ下の隠棲生活、改めて『伊勢物語』(岩波文庫)を読んでみた。また髙樹氏の『小説伊勢物語業平』(日本経済新聞社)も読んでみた。『伊勢物語』そのものは歌物語で各段も短い。『源氏物語』には「谷崎潤一郎訳」、「与謝野晶子訳」、「瀬戸内寂聴源訳」など現代語訳があるが、『伊勢物語』は現代語訳するとあっという間に終わってしまう。という訳で『業平』の場合はあくまで「創作」である。

 『伊勢物語』の主人公は在原業平(825~880)と目されていて定かではないが業平としておこう。在原氏の出自は平城天皇を祖とし、桓武天皇の嫡流であったが、皇位から遠ざかれた。業平の父は平城天皇の第1皇子阿保親王(薬子の変で大宰府に配流)、母は桓武天皇の第8皇女伊都内親王、皇位についてもおかしくない出自であったが、在原氏を賜って臣籍降下した。臣籍降下とは天皇の子供が増えすぎたので(桓武天皇は34人、嵯峨天皇は50人)、氏姓を賜ることで皇位の権利を放棄する制度。光源氏がそうであり、平氏(桓武平氏等)も源氏(清和源氏等)もそうである。それゆえ、頼朝や義経は貴種として遇され、平清盛は白河天皇のご落胤という説もあり、太政大臣まで上り詰めたのはそれでしょう、と一部では言われている(私もそう思う)。業平は5男で右近衛権中将(権とは次席を意味し、権妻とは2号さんのこと)だったので「在五中将」とも呼ばれた。どういう人物かというと『日本三大実録』(901年)によれば「美男で気まま、才はないが和歌を得意とした」とある。稀代の色好みで、後の『源氏物語』、『好色一代男』(井原西鶴)とその系統は続く。永井荷風、吉行淳之介もその流れではないかと思っている。どうして女性にもてたのか、ひと言でいえば「優しい」のだ。女性を顏かたち、年齢でえり好みしない。業平はある公卿の男から親孝行のため自分の母親(60歳くらい)の相手をしてくれないかと頼まれ、ちゃんと共寝をしている。この段を髙樹氏は優しく書いている。『伊勢物語』は「歌物語」と言われるように各段に歌が詠まれている。紀貫之(?~945)も好きだったらしく編纂した『古今和歌集』(912年)に30首を入集している。その仮名序に「在原業平はその心あまりてことばたらず」と評されているように情熱的な歌が多い。貫之は入集するとき『伊勢物語』本文を前文として載せている。では珠玉の歌を。

 

 ・巻第九 覇旅歌411

 武蔵の国と下総の国との中にある、墨田川のほとりにいたりて、都のいとこいしうおぼえければ、しばし河のほとりにおりゐて、思ひやればかぎりなく遠くもきにけるかなと思ひわびて、ながめをるに、わたしもり「はや舟にのれ、日くれぬ」いひければ、舟にのりてわたらんとするに、みな人ものわびしくて、京に思う人なくしもあらず、さるをりに、白き鳥の、嘴と脚とあかき、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人みしらず、わたしもりに。「これはなにどりぞ」ととひければ「これなん宮こどり」といひけるをきゝてよめる

  名にしおはばいざ言とはむ 都鳥 わが思ふ人はありやなしやと

 

・巻第十三 恋歌三616 

 やよひのついたちより、忍びに人に物らひてのちに、雨のそぼふりけるによみてつかはしける

 起きもせずねもせで夜をあかしては 春の物とてながめくらしつ

 

・巻第十三 恋歌三645 

 伊勢の国にまかりたりける時、斎宮なりける人に、いとみそかにあいて、又の朝に、人やるすべなくて、思ひをりけるあいだに、女のもとよりおこせたりける

 君やこし我やゆきけん おもほえず 夢かうつゝか ねてかさめてか

 

・巻第十五 恋歌五747 

 五条のきさいの宮の西の対にすみける人に、ほいにはあらでものいひわたりけるを、む月の十日あまりになん、ほかへかくれにける。あり所はきゝけれど、えものもいはで又の年の春、むめの花さかりに、月のおもしろかりける夜、こぞを恋ひて、かの西の対にいきて、月のかたぶくまで、あばらなる板敷にふせりてよめる

 月やあらぬ 春や昔の春ならぬ、我が身ひとつはもとの身にして

 

・巻第十六 哀傷歌861

 病して弱 やよひのついたちより、忍びに人に物らひてのちに、雨のそぼふりけるによみてつかはしける

 起きもせずねもせで夜をあかしては 春の物とてながめくらしつ