雨宮処凛の「世直し随想」

            疲弊する支援現場


 この行列は、どこまで続くのだろう。時々、恐怖すら感じた。

 5月3日と5日に開催された「大人食堂」。困窮者支援団体などが連携して、東京・四谷の聖イグナチオ教会で行われた。コロナで失業した人などにお弁当や食品、生活用品を配布し、生活、労働、医療の相談に乗る取り組みだ。コロナ禍では2度目となる大人食堂、3日には210人、5日には448人が訪れ、用意したお弁当があっという間になくなり、補充した。

 10代から70代まで、本当に多様な人が訪れた。住まいを失い、大きなトランクを引きずる若者。ベビーカーを押す母親や親子連れ。在留資格がないので働けず、しかし日本の公的福祉の対象にもならない「制度のはざま」に落ちている外国人。非正規やフリーランスの若い女性。

 1年以上にわたるコロナ禍で、生活は窮迫し、みんな疲れ切っている。食費を削って激やせした人や、野宿生活になったという人、携帯電話が止まって仕事ができないという人。そんな人たちと接していると、その声が政治に届かない現実に絶望しそうになる。

 緊急事態宣言であらゆる業種が打撃を受ける中、「仕事がなかったら家でゆっくりすればいい」という発想しかない2世、3世の政治家たちは、3日でも仕事が途切れると家賃滞納であっという間に住まいを失う庶民の暮らしを、根本的に理解していない。

 だからこそ、対策は遅々として進まず、炊き出しに並ぶ人と自殺者ばかりが増えている。支援者たちも疲弊している。いろんなことが、もう限界にきている。