暇工作「裁判秘話」

      松川事件裁判長・門田さんの火災保険を扱った暇


  囲碁一家から裁判官へ 木谷明さん 

 木谷明さん。起訴されたら有罪率が極めて高い日本の刑事裁判で検察主導に抗い、在職中に30件以上の無罪判決を出し、冤罪を防いできた反骨の元裁判官(現・弁護士)である。その「愚直」「鈍重」「馬鹿正直」と自身が認める姿勢は、『無罪を見抜く 裁判官木谷明の生き方』(岩波現代文庫)に詳しい。

 木谷さんは、被告人の主張にしっかり耳を傾ける。少年時代の兄弟げんかで、母親がいつも口達者な兄の言い分を鵜吞みにして、説得力に劣る自分の主張を聞いてくれなかった悔しさから、その姿勢を身につけたと(冗談ぽく)いう。

 母親の名を木谷美春さんという。囲碁ファンならご存知だろうが、大棋士・木谷実九段夫人で信州・地獄谷温泉の出身。木谷一家と一門という大家族を取りまとめ、切りもりした伝説の賢母である。木谷明さんは囲碁一家に生まれたが、同門・同居の戸沢昭宣、大竹英雄、石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹といった俊英たちの才能に触れて囲碁の道を諦め、東大法学部に進んでいる。

 

 裁判でたたかうということ。たとえば松川事件 

 さて、解雇通告を受け裁判で闘っている、個人加盟労組のA君がいる。A君は「こちらは正しいのだから裁判所を信じて審理を静かに見守っていれば必ずいい結果が出るはず」と主張し、「それは甘い考えだ。当事者自身が、もっと支援要請に動かなければ勝てないよ…」という仲間たちの意見を素直に受け入れない。暇は、裁判に過大な信頼を寄せるA君の心情にアドバイスしたいのだ。

 木谷さんのような裁判官は稀有な存在だからこそ、こうして本にもなる。つまり、そうでない裁判官が如何に多いかということだ。木谷さんの本からも、一般人の常識では理解しがたい司法の世界の仕組みや、超えがたい壁の実態が、垣間見える。裁判を密室から国民注視の舞台に移し変える努力なしには結果もヤバいかも、との思いが実感できる。言い分を聞いてもらう相手は裁判官だけでなく、国民でもあるのだ。ここが重要なポイントだ。

 たとえば、松川事件という国鉄の労働者たちを標的にした巨大な陰謀・冤罪事件があった。広津和郎さんなどの文化人が「無罪」の声を上げ始めた時、「素人が余計な口出しをするな」と司法村と一部のマスコミは口を揃えた。しかし、国民的大運動によって事実が白日の下に晒されはじめ、被告たちの無罪は「国民すべてが確信している」状況が出来上がったことによって、ようやく司法の場でも「死刑から無罪」への大逆転が実現したのだった。巨大な相手と裁判闘争をたたかうとき、この教訓はすべての案件に共通する。

 

 暇の秘話 門田裁判長の火災保険を扱う 

 松川事件の審理が最高裁から東京高裁へ差し戻され、そこで全員無罪の判決を書いたのが門田実裁判長。当時、暇自身も国民的大運動の一つ、裁判長宛の要請はがきに署名投函している。その暇が、どういう風の吹きまわしか、その後家裁に転出した門田さんから「火災保険申し込み」の電話を職場で偶然受けることになる。直接ご本人に面会して手続きをした。辞去する際、思い切って「実は…」と要請はがきを出した一人であることを言った。門田さんは、一瞬、じっと暇を見つめ、小さく頷いた。誠実さと温かさに満ちた眼差しだった。

 木谷さんと門田さん。時代を超えて二人のイメージが二重写しになる。