斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

        無人駅の危険性こそ問うべき

 

 

 

 

 先天性の身体障害があり、車いすで生活しているコラムニストの伊是名夏子さん(38)が、「JRに乗車拒否されました」とブログに書いたところ、誹謗(ひぼう)中傷が殺到、大炎上した。紙数の都合で経緯は割愛。彼女に向けられた罵詈(ばり)雑言も、あえて繰り返すには陰湿すぎる。必要な読者はネット検索を試みられたい。

 問題は、とどのつまりが例によって例のごとしの弱者叩きでしかないという、この状況の本質だ。多くの人々の長い努力が積み重なり、ようやく障害者差別解消法やバリアフリー新法が制定されるに至った時代に、この国ではなぜ、あからさまな差別ばかりが罷り通り続けるのだろう。

 平等で公正な社会など夢のまた夢か。そんな絶望はこれまでも何度も味わってきた。

 国土交通省によると、2019年度末の時点で、全国9465駅のうち約半数の4564駅が無人駅である。

 駅に人手がなければ、他の駅から集めなければ障害者の乗降を手助けすることは困難だ。伊是名さんの一件も、職員の対応以前に、無人駅の弊害が根本的な原因だったが、なぜか批判されないのが不思議だ。

 この種のトラブルは珍しいことではない。そこで昨年11月には障害者団体と鉄道事業者、国の3者による意見交換が開始され、夏までに鉄道事業者向けのガイドラインが策定される予定にもなっている。にもかかわらず――。

 無人駅の危険は当然、万人に及び得る。2007年11月には愛知県大府市のJR共和駅で、認知症の男性(当時91)がホーム端の鍵のかかっていない階段から線路に降りてしまい、列車にはねられ死亡。JR東海が自らの不始末を棚に上げて、振替乗車費用など約720万円を遺族に請求してのけ、最高裁が遺族側の全面勝訴を確定させた事件を、読者はご記憶のことと思う。

 あの駅も無人駅だった。