曽田 英夫 てつどう歴史散歩

 

     第6回 戦前の黄金期

 

 かつてジローズが歌った「戦争を知らない子供達」は大ヒットしました。筆者も戦争を知らない一人です。それ故に戦争に至った戦前の我が国の状況などイメージすら湧きません。

 戦前の鉄道史に目を向けると昭和12年(1937)7月1日の時刻改正で「鉄道の黄金時代を作る」といわれています。日本旅行協会発行の『汽車時間表』昭和12年11月号によれば、この時新設された特急「鴎」を含め次のような列車が走っていたことがわかります。 



 このほかに急行列車が走っていたのは大阪~青森間(日本海縦貫線)、上野~金沢間(信越本線経由)、大阪~大社間(福知山線経由、大社駅は今はありません。)、門司~鹿児島間2往復、門司~長崎間(上り列車には「日中連絡船入港当日ニ限リ長崎港ヨリ運転、平日ハ長崎始発」と注記あり、長崎港発は長崎発の10分前となっています。)、上野~新潟・秋田間(上越線経由)、函館~旭川・室蘭間、函館~稚内港間の各列車です。 

 

           食堂車とメニュー

 さて、このころには特急、急行や長距離の普通列車には寝台車や食堂車が連結されていました。食堂車は戦後と違って、主として特急などの優等列車では「洋食堂車」、それ以外の列車では「和食堂車」と2種類の食堂車がありました。時刻表の表示は洋食堂車がフォークとナイフが交差したもの、和食堂車がお盆にお茶碗がふたつ乗っているものでした。料金はすべて定食で和食が朝食40銭、特種50銭、昼食・夕食50銭に対して、洋食は朝食75銭、昼食は1円、夕食は1円30銭、特急「富士」「燕」「鴎」が昼食は1円20銭か1円50銭、夕食は1円50銭と高価でした。メニューは気になるところです。翌年発足した日本食堂の『日本食堂30年史』によれば、洋食メニューは朝食75銭で「果物、オートミール又はコーンフレックス又はパフとライス、ハムエッグス又はベーコンエッグス又はオムレツ又はフライドフィッシュ、パン(バター付)、珈琲又は紅茶」、昼食は1円で「鮮魚フライ又はバター焼き、肉料理又はフライスモノ又は麺類料理、肉料理野菜付、パン(ロール又はコッペイ)バター付、珈琲又は紅茶」、夕食は1円30銭で「スープ(コンソメ又はポタージュ)、鮮魚のフライ又はバター焼、ライスモノ又は麺類料理、肉料理野菜付、果物、パン(ロール又はコッペイ)バター付、珈琲又は紅茶」となっていました。意外にモダンだと感じませんか…。