暇工作「課長の一分」

             相談窓口の怪しさ


  オリンパスの社員の浜田正晴さんが先の月末で定年・再雇用を経て60歳で早期退職した。「笑顔で辞められる」と明るい。

 浜田さんは2007年、上司のコンプライアンス違反を社内の窓口に告発した。ところが、それを機に営業のリーダー職を外されるなど、処遇で差別を受けるようになった。そして裁判に訴え最高裁まで闘って2012年に勝訴したが、「給料は払うから会社には来なくてもいい」と言われ、再び提訴したあと和解が成立した。

 浜田さんなどのたたかいに押されて、2020年6月、内部告発者漏洩に罰則がつく「改正公益通報者保護法」が成立し2022年6月までに施行される。これで果たして内部告発者が保護されるかどうか。一歩前進ではあるが、法は普段のたたかいがあってこそ機能するものだ。

 

 それにしても、企業内の「相談窓口」ほど怪しげで擬態的な存在はない。損保でも同じよう事件は多々ある。「窓口」が正義を行ってくれることを期待して相談したのだが見事に裏切られた、という事件が。

 ある損保会社で、残業時間を実際より少なく記録するよう上司から強制された数人の女性社員たちが、相談の末「窓口」に訴えた。ところが事件はうやむやな結末を迎えた。労働基準監督署への相談も並行して行い、あくまでたたかう姿勢を見せた一人を除いて、だれにも不払い残業代が支給されることはなかった。不当な圧力をかけた上司へのお咎めもなかった。

 

 女性社員たちを「窓口」に駆け込ませたものは、不払い残業代の回収という経済問題もさることながら、上司の強圧的で不当なハラスメントへの怒りでもあったと思われるが、「窓口」は上司に代わって彼女たちのその怒りを吸収し、気持ちを懐柔することに全力を挙げた。ようするに「あなたのお気持ちはよくわかりますが、みなさんいろいろお立場もあって…その秩序を乱すとみなさんが不幸に…まあまあ、お静かに…」てな具合に。

 

 「相談窓口」を活用することがすべて無意味ということではない。しかし、普遍的「正義」を企業内の「相談窓口」に期待することは無理である。「正義」は企業の門前で立ち入りを拒否される。その実現には社会的多数派による包囲と監視の構築が必要不可欠だ。いうなれば企業内から企業の外に勇気をもって問題を持ち出すことからそれは始まる。浜田さんや、労働基準監督署に訴えた損保の女性のように。そして、パワハラや待遇差別、不当解雇などと裁判や労働委員会で闘っている多くのなかまたちのように。