斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

       「妙な時代」の正体

 

 

 なんだか妙な時代だ。さんざん怒り狂わされた挙げ句の果てにだが、時折ふっと我に返るたび、つくづく思うのだ。

 だってそうだろう。政治はデタラメ、経済はドツボ、何よりも、家族や友人との関係を離れた社会的な文脈で、幸せを感じることがまったくない。仕事の喜びはあるものの、私の場合、権力悪をきちんと取材し、公にすることができたこととほぼ同義だから、嬉しい反面、つらく、悲しくもなってしまう両義性を伴う。

 で、考えた。問題は、私が自国を先進国だと思い込んでいることにあるのではないか。

 確かに〃ジャパン・アズ・ナンバーワン〃などと持てはやされた時代もあった。政治的な思惑含みのエセ賛辞だった可能性は否めないにせよ、実態とまるきり乖離(かいり)したうそ八百なら、いかなるシナリオも成立すまい。

 だが現在はそうではない。GDPばかり世界有数でも、市民一人一人の人生という観点ではいかがか。

 いわゆる「幸福度」とか「悲惨指数」などの国際指標は、文化の違いを無視した独善に感じられるので、あまり触れたくない。目安にしたいのは、ダボス会議を主催しているスイスの研究機関「世界経済フォーラム」による「男女平等度ランキング」と、国際NGO「国境なき記者団」の「報道の自由度ランキング」だ。

 最新の調査結果によると、日本は前者で156カ国中120位、後者で180カ国中66位だった。「先進国」の資格要件が成熟した民主主義なのだとすれば、多くの人々が納得できる指標であり、現代日本の体たらくではあるまいか。無惨な状況と、まだしもマシだった頃以来の思い込みとのギャップこそが、「妙な時代」の正体なのだと思う。

 だからもう諦めろと言いたいのではない。まずは現実をしっかり見据え、これからの方向性を熟考して、ゼロからやり直そうよと呼びかけたいのである。