K・M生「なかにし礼さんと夏梅誠一さん」


       弘田三枝子「人形の家」に込められた思い

 昨年亡くなった作詞家のなかにし礼さんが、自身の作品を語るテレビ番組を観ました。

 そのなかで弘田三枝子さんが唄った「人形の家」は、ラブソングに見えて、実は、なかにしさんが敗戦時に満州で受けた日本政府の「棄民政策」に対する怒りの詞だったということを知りました。番組でそうご本人が語っていました。

 そういわれてあらためて「愛されて捨てられて…人形みたい…わたしはあなたに命を預けた…」というフレーズに込められた重さに慄然とします。ありふれた失恋の歌ではなかったのですね。

 敗戦当時の政府の「棄民政策」は、ソ連が天皇の戦争責任を追及しないことを条件に、満州に残る180万人もの日本人を、ソ連側の「労働力」として差し出すという取引でもありました。その歴史的事実を「棄民のあしあと」という著書で書き残したのが夏梅誠一さんです。かつての全損保京都地協で書記を務められて労働運動に献身され、その後京都中小企業同友会会員などを歴任された方です。そして夏梅さんもまた、なかにしさんと同様に「棄民政策」の犠牲者で、満州からの引揚者でした。たしか、4~5年前の「損保のなかま」紙でとりあげられていたと記憶しています。

 貴紙によって、なかにしさん、弘田さん、そして夏梅さんが私の中で繋がってきました。なかにしさんや夏梅さんの反戦思想には、こうした実体験の裏付けがあるのですね。

 以上、一筆投書させていただきました。今後もWEB新聞のご発展を祈念しつつ。