曽田 英夫 てつどう歴史散歩

 

     第5回 戦前の時刻表

 

 戦前の時刻表にあって、戦後の時刻表にないのは何でしょうか? 答は戦前の時刻表には朝鮮半島、中国、台湾、樺太の鉄道の時刻表が掲載されていたことです。

 まず、朝鮮半島から中国へは次のような列車が走っていました。昭和8年(1933)4月に釜山~奉天間に急行「ひかり」が新設され、翌9年(1934)11月に釜山~新京(現・長春)間に延長されています。釜山~新京間は26時間40分かかりました。その9年11月に釜山~京城(現・ソウル)間の急行列車を奉天に延長し、「のぞみ」と命名しました。13年(1938)10月には新京まで延長されています。このように大陸では「ひかり」と「のぞみ」が肩を並べて走っていました。それは添付の時刻表のとおりです。「ひかり」と「のぞみ」は現在は東海道・山陽新幹線で「こだま」と共に列車名として活躍していますが、戦前は大陸で併走していました。よほど縁が深いのでしょう。

 現在の中国東北地方である満州を走っていたのは、満鉄と言われますが、実際は「南」がついた南満州鉄道です。この鉄道の看板列車は特急「あじあ」です。昭和9年11月1日に大連~新京間にデビューし、翌10年(1935)9月に大連~ハルピン間に延長されています。11年10月改正の時刻表では、下り大連発10時、新京着18時20分、発18時30分、ハルピン着22時30分、上りハルピン発10時、新京着14時、発14時10分、大連着22時30分となっていて、大連~ハルピン間の所要時間は12時間30分となっています。「あじあ」は新製客車の6両編成で、手荷物郵便車、三等車(2両)、食堂車、二等車、一等展望車でした。蒸気機関車は「バシナ」型で、最高速度は時速130キロを記録していました。

 戦前の時刻表にはもっと驚く時刻表が掲載されていました。それは東京~巴里(パリ)間の壮大な時刻表です。下りでは東京~下関~関釜航路~釜山~ハルピン、満州里、オムスク、モスクワ、ワルシャワ、ベルリンを経由して巴里に着く事となっていました。当時は船で行くよりも、このルートが速かったのです。

 このルートで東京からパリへは作家の林芙美子が旅をしており、その紀行文として「三等旅行記」を刊行しています。同書によれば、昭和6年(1931)11月9日に出発し、23日の夜明けに着いています。当時の時刻表では東京発21時45分、パリ着は15日目の6時43分となっています。同書では下関からパリまで379円25銭を出費したと書いています。当時の郵便料金が15グラムまで3銭、現在では25グラムまで84円で2800倍であり、1,061,900円となります。「時刻表」は25銭、現在は1205円、4820倍で1,827,985円となり、いずれにせよ現在の金額では100万円以上かかった事がわかります。  




 

<本欄4月号へ読者からの投書>

 昭和の初めの特急列車名に軍艦・戦闘機を連想するのは時代背景ですね。不況で国鉄は増収対策に必死だったのかと感じ入りました。この時代は速度の遅い貨物列車がたくさん走っていたはずです。優等列車はこれに邪魔させないダイヤ作りに苦心していたのでは。(万沢武夫・元日動外勤)