斎藤貴男「レジスタンスのすすめ」


 

 

       科学よ「心」を失うな

 

 

 日本学術会議が組織のあり方改革の方向性を3月末までにまとめる方針だという。梶田隆章会長(東京大学卓越教授、ニュートリノ物理学)が1月末に井上信治科学技術担当相と会談して伝えた。

 同会議の新会員候補105人のうち、6人の任命が菅義偉首相に拒否されて、5カ月が過ぎた。理由は明かされず、また安保法制や共謀罪に反対の立場を表明していた人ばかりだったため、国家が学問の自由に介入するのかと社会問題化したのも束の間。同会議の方が組織改革を迫られて、今日に至っている。

 政府・自民党の目的は、内閣府の「特別の機関」でありながら、必ずしも国策に従順でない科学者集団を、自家薬籠中の物とすることに他ならない。だが、そうなったら最後、科学は戦争や人間支配の道具に堕してしまう。数多ある歴史の教訓通りだ。

 この間には水面下で相当の動きがあったらしい。井上担当相は軍事研究に否定的な学術会議に「時代の流れでなかなか(軍事用と民生用の研究を)単純に分けるのは難しい」と牽制しつつ、会議側が主張する「ナショナル・アカデミーとしての権能維持」には賛意を示している(産経新聞2020年12月5日付)。

 政府・自民党が打ち出している「政府機関からの独立」と「ナショナル・アカデミー」とは矛盾するように見えるかもしれないが、決してそんなことはない。たとえば民営化されて財源を産業界の出資や寄付に依存するようになれば、彼らの利益に貢献できる分野の発言力がいや増すことは必定だ。同時に政府の影響力も。

 戦争がもうかると判断されれば、日本の科学界全体が確実にその方向を向いていく。人間の心を伴わないイノベーションほど恐ろしいものはない。

 なぜだか報道が極端に減った。だが事態の重大性が薄らいだわけではまったくない。逆だ。ゆめゆめ警戒を怠るまい。