今月のイチオシ本


  「UP」3月号(東大出版会)

 南川文里「2020年のアメリカ型文化主義」

 

               

                岡本 敏則

 


 1月バイデン大統領が誕生した。昨年の米国は新型コロナの感染拡大、BLM運動(Black Lives Matter)の広がり、トランプ大統領の敗北という「激動」の年であった。

 この米国の2020年という年を分析した論考を紹介する。南川氏は1973年生まれ、立命館大学国際関係学部教授。専攻は社会学・アメリカ研究。著書に今年初めに刊行された『未完の多文化主義―アメリカにおける人種、国家、多様性』(東大出版会)がある。本稿の副題は「感染症危機、BLM、大統領選挙」。この3項目を見ていこう。

〈感染症危機〉

 3月ごろから本格化した感染症危機は、アメリカ社会に存在してきた構造的な不平等の存在をあらためて知らしめた。米国疾病管理予防センターのデータ(2020.11)によれば、新型コロナウイルスへの感染率は、先住民が白人の1.8倍、黒人が1.4倍、ヒスパニックが1.7倍高い。さらに死亡率は先住民が白人の2.6倍、黒人とヒスパニックが2.8倍である。マイノリティは感染リスクだけでなく、重症化・死亡に至る確率も高い。理由として、感染リスクが高いエッセンシャルワーカー(生活に欠かせない仕事を担う人々、ゴミ収集、清掃など)が多いこと。既往症や健康問題を持つ人が多いこと、さらに、保険や医療へのアクセス、治療現場での扱いなど医療制度に組み込まれた人種間格差の存在が挙げられている。「生命の不平等」は厳然として存在し続けている。

 <BLM運動>

 5月25日のジョージ・フロイド氏死亡事件を契機とした抗議運動は、感染症危機が露呈した不平等が、奴隷制以来のアメリカ社会に歴史的に組み込まれた人種的不平等のもとにあること、そして多様性という規範が定着しつつあったアメリカにおいて制度的人種主義への問題関心が失われていることを厳しく批判した。その点で、BLM運動がオバマ政権下の2013年に、警察や刑事司法における不平等を訴えて始まったことは示唆的である。その批判は、トランプ時代の明示的な人種主義だけでなく、多様性規範が共有されたオバマ時代における制度的人種主義の問題を直視していた。BLM運動は、表面的な多様性が覆い隠している、歴史的、構造的に規定される人種主義の克服を訴えた。それは、21世紀のアメリカ型多文化主義が陥った限界を鋭く指摘し、公民権、多様性、そして人種主義の歴史が分かちがたく結びついていることを再確認させる契機となった。

 <大統領選挙>

 感染症危機とBLM運動によって露呈した人種主義の構造的・歴史的要因へのアプローチが、大統領選の行方を左右する争点となった。その一つが投票権であった。BLMをはじめとする反人種主義運動が「投票せよ!」と訴えたのは、投票権はく奪が、マイノリティの政治的主体性を否定する制度的人種主義の象徴であったからである。実際、2013年に各州の選挙政策への連邦の介入を違憲としたシェルビ―郡対ホルダ―判決以降、南部諸州を中心にマイノリティや貧困層の投票を妨害する制度が次々と導入されていた。投票権はく奪に抗議する運動は、政治参加に消極的なマイノリティの選挙登録と投票を促すという地道なものであったが、その歴史的意味は大きい。例えば、激戦州となったジョージア州やアリゾナ州でのバイデン勝利を支えたのは、マイノリティ市民による投票数の増加であると言われている。2016年の大統領選挙では米墨(メキシコ)国境の「壁」建設に象徴される「移民問題」が主要な争点であった。2020年の選挙では、制度的人種主義や、人種的不正義にどう向き合うかが問われ、BLM運動に共感を示すバイデンに対し、トランプ陣営は「法と秩序」を強調した。人種問題に関して言えば、重要なのは二つの政治勢力の「分断」ではなく、両者が共用する前提条件にある。トランプ現象は、公民権を歴史性から乖離させ、人権問題を他の政策課題と天秤にかける取引材料とする態度に支えられている。

 バイデン時代に求められるのは、公民権を再歴史化し、多文化主義が対峙してきた問題関心へと再接続する取り組み、と言えよう。