昭和サラリーマンの追憶

資本主義は間もなく寿命

      

 

           前田 功


 今回はなぜ、「昔はよかった」のかを、考えてみた。

 私は敗戦の年、1945年の4月生まれだ。私の人生は戦後日本の回復・成長、そして停滞とほぼ一致している。戦後すぐの混乱期は幼な過ぎてほとんど記憶にないが、疎開先の田舎に住み続けていたので、衣食住に困るということはなかったと聞いている。しかし、今と比べると絶対的に貧しい生活だっただろうと思う。

 1947年2歳の時、日本国憲法施行。1950年5歳、朝鮮動乱(その後特需)。1960年15歳、池田内閣の所得倍増計画。1964年19歳、東京五輪。1970年25歳、大阪万博。1972年田中角栄の列島改造計画。1980年代後半はバブル景気。不況の時期もあったが、この頃までは、基本的にはずっと豊かさに向かっており、資本主義の良い面が機能した時代だったのだろう。

 一億総中流と言われ、多くの人が豊かさを実感し働くことに喜びを感じていた。学校でまじめに勉強し、社会に出てまじめに働いておれば、誰もが安定した生活ができた。企業も従業員を「人材」として大切にし、人材育成は常に企業の重要テーマだった。

 「非正規雇用」とか「ワーキングプア」などという言葉はなく、普通に働いている人で生活保護水準以下の暮らししかできない人は少なかった。今のように、労働者が働いた対価を株主・経営者、そして政府がむしり取っているという感じはなかった。

 日本の資本主義は、この当時、日本国内の労働者を搾取するよりももっと搾取効率の良い中国など途上国の人たちを食い物にしていたのだと思う。だから、日本の労働者に対しては賃上げ30%ということもでき得たのだろう。(当時中国で仕事をしていた友人は、「中国での人件費は日本の10分の1だ」と言っていた。)

 ところが、1990年代になるとバブル崩壊、大手金融機関の破綻もあった。それ以降、現在に至るまで、「失われた30年」だ。食い物にしていた途上国の賃金水準も上がってきた。日本の資本主義は国内の労働者を搾取するしか生き延びられなくなってきたのだ。

 そこで政府や財界が「雇用の流動化」「多様な働き方ができるように」と喧伝して行なったのが、「派遣法の改悪」と「非正規雇用の拡大」。「やりがい搾取」が蔓延し、正社員は9時から5時まで働くだけではその存在を許されず「過労死」も多発。非正規雇用の人たちは生活ができない賃金しか得られない事態となった。政府や財界は、今の賃金で生活できないのなら、「フリーランス」になれとか「副業」をしたらどうだと言い始めた。これらの「実質賃金の低下」策=働く者からの搾取強化で日本の大企業は何とか儲けを出しているのが現状だ。

 

 このところ、国債利回りをはじめ各種金利は、0%前後で推移している。金利がゼロ付近で張り付いているということは、マクロ的には利益の出る投資案件がなくなってきているということだ。なぜなら、金利ゼロで儲かる投資案件が多くあるのであれば、資金需要が旺盛となり、その結果、金利は上昇する。したがって、金利というものは長期的にみると、資本の利潤率とほぼ同じとなると言える。

 

 資本主義の本質は、資本を投下し、利潤を得て資本を増殖させることにある。30年以上続いている超低金利は、資本主義の寿命が終わりに近づいているということを示している。

 私の世代は寿命を迎えつつある資本主義の中で何とか逃げ切れそうたが、子供や孫は、どんな体制を生きるのだろう。資本主義の悪をなくした良い制度が出現することを祈りたい。