今月のイチオシ本


  齋藤幸平『人新世の資本論』集英社新書

 

               

                岡本 敏則

 


 日本の大学からマル経(マルクス経済学)の講座が消えていく中で、新進気鋭の学者が現れた。それが斎藤幸平氏。1987年生まれ、ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。現在は大阪市立大学経済学研究科准教授。専門は経済思想、社会思想。『大洪水の前に』(邦訳)で、「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞。NHKテキスト『100分名著・マルクス「資本論」』で注目を浴びた。本書は三省堂有楽町店で全米図書館賞を受賞した柳美里の『JR上野駅公園口』と並んで入口に平積みされていた。「人新世」は「ひとしんせい」と読む。

 「温暖化対策として、あなたは、何かしているだろうか。レジ袋削減のために、エコバックを買った?ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いている?車をハイブリットにした?はっきり言おう、その善意だけなら無意味に終わる。それどころか、その善意は有害でさえある」。国連や各国が掲げる「SDGs(持続可能な開発目標)」をアリバイ作りと断じる。「かつてマルクスは資本主義のつらい現実が引き起こす苦悩を和らげる〈宗教〉を〈大衆のアヘン〉だと批判した。SDGsはまさに現代版〈大衆のアヘン〉である」。

 題名の「人新世」について、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツエンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを〈人新世〉(Anthropocene アントロポセン)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代という意味である」。

 地表はビル、道路、工場、農地で埋め尽くされ、海洋にはマイクロ・プラスチックが大量に浮遊している。その元凶は、現在新自由主義といわれる産業革命以来の資本主義にある。その資本主義について考え抜いたのがカール・マルクスであった。しかし、氏は『資本論』の焼き直しをするつもりはない。マルクスの思想のまったく新しい面を発掘する。「実は、近年MEGAと呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』(Marx・Engels―Gesamtausgabe)の刊行が進んでいるのだ。日本人の私を含め、世界各国の研究者たちが参加する国際的全集プロジェクトである。最終的には100巻を超えることになる」。

 大月書店版「全集」は正しくは「著作集」である。とりわけ注目したのがマルクスの「研究ノート」である。「マルクスは研究に取り組む際、ノートに徹底した抜き書きをした。亡命先のロンドンの大英博物館で、毎日閲覧室で抜き書きを作成した。そのノートは膨大であり、『資本論』に取り込まれなかったアイデアや葛藤も刻まれている。貴重な一次資料なのである」。しかしこれらは単なる「抜き書き」として片づけられ無視されて来た。このノートがMEGAの第四部門として全32巻で初めて公にされる。「新しい『資本論』解釈であり、ノートを丹念に読み解くことで、『資本論』に新しい光を当てることができ、それが現代の気候危機に立ち向かうための新しい武器になる」。今までの『資本論』は「第1巻は本人の筆によって完成し、1867年に刊行されたものの、第2巻、3巻は未完で終わってしまった。現在ある第2巻、3巻はエンゲルスがマルクスの没後に遺稿を編集し、出版したものに過ぎない。そのため、マルクスとエンゲルスの見解の相違から、晩年のマルクスの考えていることが歪められ、見えにくくなっている箇所も少なくない。なぜならマルクスの資本主義批判は、第1巻刊行後の1868年以降に、続巻を完成させようとする苦闘の中で、さらに深まっていったからである」。

 氏が提起するのが〈common コモン〉という概念だ。「近年、マルクス再解釈の概念の一つが〈コモン〉、あるいは〈共〉と呼ばれる考えだ。〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す。20世紀最後の年にアントニオ・ネグリとマイケル・ハートというマルクス主義者が共著『〈帝国〉』の中で提起して、一躍有名になった概念である」。

 先月取り上げた宇沢弘文の「社会的共通資本」と共通するところがあるが、宇沢の「社会的共通資本」は専門家任せであり、〈コモン〉は市民が民主的・水平的に共同管理に参加することを重視する。「最終的には、この〈コモン〉の領域を拡張していくことで、資本主義の超克を目指すという点で「社会的共通資本」とは決定的な違いがある」。

 本当に刺激に満ちた本で、一気に読ませる。未来に期待が持てそう。