曽田 英夫 てつどう歴史散歩

 

     第3回 特急列車の誕生

 

 いま、『時刻表』を開くと、優等列車は「特別急行」の省略で「特急」列車しかありません。長い間あった「急行」列車は北海道新幹線が開業した平成28年(2016)3月26日の時刻改正で青森~札幌間急行「はまなす」が廃止され、定期列車から消えました。これら優等列車がいかに歴史上に登場したのか、興味があるところです。

 最初の時刻表を見ると、第1回で掲げたとおり各列車は各駅に停車していることがわかります。その後、駅を通過し、所要時間を短縮するということが起こりました。明治8年(1875)6月14日の時刻改正では新橋~横浜間の終列車1往復は川崎のみ停車の快速運転をしています。新橋・横浜発23時15分、横浜・新橋着は0時5分で所要時間は50分、他の列車より8分早くなりました。しかし、このような時間に乗った人がいたのだろうか、興味を引きます。

 さらに明治15年(1882)3月16日の時刻改正で新橋~横浜間の列車のうち3往復を快速運転とし、そのうち2往復は品川、神奈川停車の「急行」を称しました。下り新橋発9時・16時30分、横浜着9時45分、17時15分、上り横浜発9時30分、16時30分、新橋着10時15分、17時15分で所要時間は45分、他の列車は55分で10分早かったのです。

 長距離列車で「急行」の最初は明治27年(1894)10月10日に現在の山陽本線である私鉄の山陽鉄道が神戸~広島間の3往復中1往復を「急行」とし8時間56分の運転としました。現在では山陽新幹線新神戸~広島間は「みずほ601号」が1時間12分で走破しており、技術の進化を感じます。その山陽鉄道では明治34年(1901)5月27日には神戸~馬関(現在の下関)間の急行4往復のうち1往復を「最急行」とし、12時間35分運転としています。「最急行」と聞くとかなり違和感があると思いますが現にありました。明治36年1月20日の時刻改正では京都~下関間に「最大急行」が運転されたとのことですが、時刻表では表示を確認できませんでした。山陽鉄道は明治39年(1906)12月1日に国有化され現在の山陽本線となりました。

 

 明治45年(1912)6月15日に東海道・山陽本線の時刻改正を実施し、新橋~下関間に初めて「特急」列車が運転を開始しました。同区間を下り25時間8分、上り25時間15分でした。主要駅の時刻表は下表のとおりです。最高の列車らしく1・2等寝台車、洋食堂車、展望車を連結して格式が高い列車でした。以降、優等列車は特急、急行、そして後に準急が走ることとなりました。 

      

       明治時代の時刻表と「最急行」「特別急行」

 

 明治時代の「時刻表」では時刻は漢字で12時間制。よく見ないと途中から午前が午後になります。それに右から左へ進んでいきます。

 

 下の時刻表は「最急行」があったことを示す庚寅新誌社『汽車汽船旅行案内』明治36年7月号。    

 下の時刻表は「特別急行」の登場を示す博文館『鉄道汽船旅行案内』大正元年12月号。


 2月8日、小生の投稿がラジオで放送となりました。番組はNHK第1〈R1〉20時05分から55分「鉄旅・音旅 出発進行」です。2月1日放送で宿題となった、上野発急行「信州4号」の録音時期を推測したところ、放送してくれました。(曽田)