今月のイチオシ本


 宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書

 

               

                岡本 敏則

 


 米国のマスメディアが「資本主義は危機に瀕しており、コロナ禍は困窮にあえぐ人々を救うべく世界を変える可能性がある」と報じました。また世界のGlobal Companyの団体である「WORLD ECONOMIC FORUM」は「Great Reset」が必要だと言い始めました。日本の経団連は「人類社会の発展は、究極的には発達した資本主義を持って最後となる」とまで言っています。今「経済学」の時代でしょうか。「損保のなかま」の読者、編集委員は経済のAuthorityが多いので気が引けたが、今回は経済学者宇沢弘文(1928~2014)の著書を取り上げてみました。

 まず、宇沢氏の略歴から。府立一中(現日比谷高)から一高を経て東京帝国大学理学部数学科に入学。経済に転じたのは河上肇博士の『貧乏物語』に感動して、とも言われています。1956年米国に渡り、スタンフォード大学、カリフォルニア大学で研究生活へ。1964年シカゴ大学の経済学部教授に就任。1968年日本に戻り東大経済学部助教授に。1989年退官し、新潟大学、中央大学などで教鞭をとりました。東大時代は、自分の思想に共鳴しない学生を排除することもあって、ゼミ学生ゼロの時もあったといいます。水俣病問題、三里塚闘争(の仲裁)など社会問題にも関わり、地球温暖化にも警鐘を鳴らし「(比例型)炭素税」導入を主張しました。岩波書店から『宇沢弘文著作集全12巻』が発行されています。

 

 〇社会的共通資本=一つの国ないし特定の地域に住む全ての人々が、豊かな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力のある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。自然環境、社会的インフラストラクチャー(下支え)、制度資本の三つの大きな範疇に分けて考えることができる。大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、そして教育、医療、司法、金融制度などの制度資本が社会的共通資本の構成要素である。

社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律に従って管理、運営されるものである。政府によって規定された基準ないしルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。

 

 〇学校教育をかんがえる=教育の出発点は言語の習得と数学の学習にある。人間の最初の文明が花開いたのはメソポタミアの地であるが、それは言葉を話すことと数を数えることから始まった。一人一人の子供は、言葉を理解し、数学の考え方を理解する能力を生まれながら、インネイト(先天的)なかたちで持っているわけである。 

 

 〇大学の自由と役割=今、世界の大学人が共通して持っている問題意識は、政府からの圧力に対して、大学の自由(Academic Freedom)をいかに守るかということである。これは、国立大学はもちろんのこと、私立大学も、国からの財政的援助に対する依存度が極めて大きくなってきたことに起因する。もともと、大学は、重要な社会的共通資本として、一国の文化的水準の高さをあらわす象徴的な意味を持ち、その国の将来の方向を大きく規定するのである。このとき国(Nation)の統治的な機構としての政治(State)からの力に対して、大学の自由をどのようにして守るということが重要な課題となる。東京大学、京都大学などのいわゆるプライマシー(首位)の大学としての役割を果たす大学は、一国の最も中心的な大学として、学問研究の最先端の方向と水準を切り開き、同時に、社会のあらゆる面、階層において主導的な役割を果たすべき若者たちの青春の舞台を提供する。そして、このことによって、日本という社会の次の世代の特性に大きな影響を与えるものである。

 

 〇地球環境=キリスト教の教義が、自然に対する人間の優位に関する論理的根拠を提供し、人間の意志による自然環境の破壊、搾取にたいしてサンクション(承認)を与えた。と同時に、自然の摂理を研究し巧みに利用するための科学の発展もまた、キリスト教の教義によって容認され、推進されていった。科学が、宗教、文化とまったく独立なものとして展開され、経済学が普遍的な思想を形成するとともに、産業革命の可能性が現実のものとなっていった。化石燃料の大量消費によって惹き起こされつつある地球温暖化の現象は、まさに産業革命の必然的帰結に他ならない。

 

 

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