大杉良夫「保険金支払い事件簿」

           戦後の交通死64万人を考える


 2019年は、統計開始以来初めて交通事故の死者が3,000人を下回って2,839人になった、と警察庁が発表した。統計が始まったのは戦後の1948年(昭和23年)。ここに到達するまで70年の時を刻んだわけだ。

 交通事故の死者は戦後の復興とともに上昇カーブを描き、1954年(昭和29年)には早くも年間1万人を超えた。そして1970年の高度成長期の16,765人というピーク時を頂点に、その状態が20年間続いた。一日に50人近くが交通事故死し、10万人近くが傷つくという現実は、現在のコロナ禍と比べても極めて異常で大きな社会問題だが、それがクルマ社会の根本まで遡って論じられることは少なかった。どこかに日本経済の基幹である自動車メーカーへの忖度があった。保険会社もメーカー様々とエビス顔でおこぼれを享受してきた。

 交通事故死は1974年に一旦1万人を切るが、1988年には再び1万人を超え、それが1995年まで続く。つまり戦後の大半は、毎年交通事故死1万人とその数十倍から百倍にあたる傷害者を出しながらの経済成長だったのである。統計開始以来の死者数は641,130人に上る。(この数値は事故後1時間以内に死亡した被害者数のみが計上されているから、実態はさらに大きい)。この自動車産業発展の暗黒面から目を背けてはなるまい。

 そして思えば、我々損保会社の支払い担当者は、この自動車の「社会的費用」の一部として国民から集められた保険料から、被害者に「妥当な」保険金を振り分けるという業務を担い続けてきた。我々は保険金支払業務の社会的責務とその重要性は十分に認識しているつもりだ。被害者をせめて金銭面で救済し、人生を再構築する手助けをすることに誇りを持って仕事をしていることは言うまでもない。だが、被害者の命や健康がすべて金銭でカバーできるわけでは、決してない。保険金を支払っても失われた唯一無二の尊い命は帰ってこない。

 宇沢弘文著「自動車の社会的費用」(岩波新書)は、クルマ社会への経済学的視点からのアプローチであるが、同時に社会文化的側面からの考察も深められていて、損保関係者必読の書だ。いくら自動車保険でメシを食っているからと言って、いや、メシを喰っているからこそ、クルマ社会の赤裸々な姿から目を背けてはならないと思う。

 

 

 

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