コロナ支援プロジェクト


守屋真実

もりや・まみ ドイツ在住27年。ドイツ語教師、障がい児指導員、広島被ばく2世。父は元千代田火災勤務の守屋和郎氏 


 昨年12月17日夜、東京革新懇のメール・ファックスニュースで「コロナにまけない食料・生活支援プロジェクト」が同月23日に行われることを知った。時間が限られているので、母と手分けして、いつものように一口100円からカンパを募ることにした。

 幸い12月18日が金曜日だったので、首相官邸前と経産省前で仲間たちに呼びかけることができ、さらに19日の国会周辺行動でも多くの人が協力してくれた。母も早速に友人たちに連絡してくれて、三日間で二人合わせて3万1000円の現金と、託されたレトルト食品や缶詰、マスクなどの物資で小包一個を送ることができた。

 「少なくてごめんね」と言いながら100円くれた人、「困っている人に何かしてあげたかったのよ」と300円くれた人、太っ腹に一万円出してくれた人。「声をかけてくれてありがとう」と言ってくれた人もいた。金額の大小にかかわらず、やさしい思いのこもったカンパだ。たくさんの人が他人の困窮に心を痛め、救いの手を差し伸べたいと思っている。それでも、自分から積極的に動く人は少ないのも事実だ。

 こういう呼びかけをすると「すごいわね」とか「えらいわね」とか言われるけれど、他の人の企画に便乗しているだけなのだから、ちっとも大したことではない。「何かしなければ」と思いながら何もできない自分がもどかしいし、飢えている人に「かわいそうに」と百回言ってもお腹が満たされるわけではないのだから、現実的で実効性のある支援をしたい。今の私には自分で企画を立ち上げる時間も体力もないけれど、誰かが始めてくれたら、それを応援することはできる。私自身金持ちではないから、みんなに声をかけて少しずつ出し合おうと思うだけだ。私を褒めなくていいから、私に声を掛けられる前に、みんなが自発的に行動するようになればもっといいのにと思う。

 それにしても、こんな大切な、人の生死にかかわるプロジェクトを国や自治体が行わず、NPO法人や民間団体や市民の善意にのみ委ねられているのは政治の怠慢と言うしかない。人間が路上で飢えたり凍えたりしていて、何が先進国だ。人の命を何だと思っているのだ。初めはライヴハウスとパチンコ店、次は夜の街、若者、それから飲食店と、いつも誰かに罪を擦り付け、さらには補償なしに刑事罰によって市民を統制しようとする厚顔無恥。自分たちの無能さに微塵の反省もない政府に怒りが煮えたぎる。菅政権の支持率をどん底まで引きずり降ろしてやりたい。

 

 支援プロジェクトには、254名の人が訪れたそうだ。来場者の7割以上が女性で、学生とひとり親世帯の人もそれぞれ一割を占めたという。ここに来た人は氷山の一角にすぎないのだろう。もっと何かできないのか…臍をかむ思いである。それでも、「いつか自分が支援する側になりたい」と語った青年がいたという後日報を読んで、少し気持ちが晴れた。こういう支援も社会を変える種蒔きの一つなのだ。少しずつでも、息長く続けていこう。