曽田 英夫 てつどう歴史散歩

 

     第2回 東海道線が全通する

 

 日本を代表する2大都市である東京と大阪を結ぶ鉄道の幹線は、昭和39年(1964)10月1日に東海道新幹線の東京~新大阪間が開業するまでは、東海道本線東京~神戸間が幹線となっていました。

 それでは東海道本線はどのように建設されたのでしょうか。そもそも両都市を結ぶ最初の幹線構想は意外なことに「中山道」を経由するものでした。太平洋側の「東海道」では箱根越えや多くの河川があり工事が困難であること、すでに交通の便がいいなどがその理由であったようです。これに対して「東海道」を幹線とすることを決定したのは、明治19年(1886)7月13日になってからで、計画を開始してから実に16年の歳月がかかりました。

 

 当時すでに東は東京(当時は新橋)~横浜、西は神戸~大阪~馬場(現在の膳所)~大津(後の浜大津で現在は廃止)間、名古屋~大府~武豊間、名古屋~木曽川間、関ヶ原~長浜間ですでに列車が運行されていました。それで「東海道」を幹線と決定した後、同19年11月から着工し、明治20年(1887)1月21日、加納(現在の岐阜)~大垣間、4月25日、加納~木曽川間、明治21年(1888)9月1日、大府~浜松間、明治22年(1889)2月1日、国府津~御殿場~静岡間、同年4月16日、静岡~浜松間が開通し、新橋~長浜間に鉄道が通じました。 

 残った区間は長浜~膳所間ですが、鉄道が開業するまでは、同区間は別図のように琵琶湖の湖上を船で連絡していました。運行していたのは「太湖汽船」で、長浜~大津間でした。

 静岡~浜松間が開通後の時刻は次の様なものでした。下りは新橋発6時、長浜着21時、長浜発21時30分で船に揺られ大津着2時、大津発5時45分、大阪着8時17分でした。上りは大阪発19時6分、大津着21時39分、大津発22時、ここが航路で長浜着2時、長浜発6時、新橋着0時25分で、所要時間は下り26時間17分、上り25時間19分でした。


 

 明治22年(1889)7月1日、長浜~膳所間が開通し、東海道線が全通しました。その結果、長浜へは行かず、米原経由となり、太湖汽船は廃止となりました。同日より新橋~神戸間を直通したのは1往復、初の夜行列車で、次のような時刻でした。新橋~大阪間は下り18時間54分、上り19時間4分、新橋~神戸間は下り20時間5分、上りは20時10分でした。当時、全区間乗車した人がいたかどうかは興味のあるところです。 

    


     ーー筆者・曽田さんへーー(元日動外勤 萬澤武夫)

 

 私、今年6月に「安心いちばん株式会社」という代理店を定年退職します。

 子供の頃から鉄オタなので、曽田さんの記事に引き寄せられました。「てつどう歴史散歩」の連載いいですね。楽しみにしています。(1月号の時間表を見て)新橋から横浜の所要時間が53分とは意外に早いですね。

 不思議なのはあの時代のブレーキは機関車単独で、客車はそれぞれブレーキ手が人力で制動していたはずです。大事故の話はなかったようですが、かなり無理をしていたとおもいます。いや、尊敬の念を表しているのです。 

 鉄オタには様々な人種がいます。乗りテツ(金がない)模型テツ(不器用)写真テツ(テクニックがない)…。

 

 

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